1392年に朝鮮王朝を建国したことで知られる李成桂(イ・ソンゲ)。もともと高麗の武将だった彼がどのようにして王となったのか。高麗の滅亡から朝鮮王朝の始まりについての過程を見ていこう。
高麗の滅亡
高麗の武将だった李成桂は、倭寇の軍を撃退するなど戦功を次々にあげるなど、戦いの中で力を発揮して、高麗最高の武将の1人になった。
1388年、中国大陸の大国・明が高麗を何度も威嚇してきた。そのことに頭を痛めていた高麗の王・禑王(ウワン)は、明と戦うことを決意した。しかし、李成桂は「小国が大国に逆らってはいけない」などの意見から反対するが、禑王はその訴えを受け入れなかった。しかも、李成桂はその遠征軍の大将にされてしまう。
さすがに王命には逆らえず、李成桂は大軍を率いて出発したが、途中で雨に降られて鴨緑江(アムノッカン)の下流にある威化島(ウィファド)で足止めされてしまった。その雨が長く続いたため、兵士の士気は目に見えるように下がっていく。そんな状況の中で、李成桂が下した決断は、「全軍を引き返して、高麗に狙いを定める」ことだった。
勢いに乗って攻めてきた李成桂の軍を、高麗の他の武将たちは止めることができず、高麗の都である開城(ケソン)はあっという間に制圧されてしまう。
この事件は「威化島回軍(ウィファドフェグン)」と呼ぶ。その後、高麗の実権を握った李成桂は、禑王を追放して傀儡の王を据えるなど、高麗内部での政治基盤を盤石にする。こうして、敵対勢力を排除した李成桂は、1392年に朝鮮王朝を建国して初代王として即位した。
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