イ・サンこと正祖(チョンジョ)は“親孝行の手本”のような王であった。彼は父である思悼世子(サドセジャ/米びつで餓死させられた)を心から敬慕し、その名誉回復に全力を注いだ。
城郭が完成した
正祖は、父に対して“荘祖(チャンジョ)”という尊号を贈った。形のうえでは王と同格になったばかりでなく、王の中でも特に功績があった人に贈られる“祖”の文字も入っている。そこまでしないと正祖の気持ちがおさまらなかったのである。
また、正祖は高官たちの反対にもかかわらず、思悼世子の墓を移している。
当初、思悼世子の墓は都の北の楊州(ヤンジュ)にあったのだが、その土地の風水が気に入らなかった正祖は、思い切って墓を都の南25キロの場所に移した。そこは花の名所としてよく知られた水原(スウォン)だった。
墓の移転にともなって水原を城郭都市にする工事が1794年から始まり、2年6カ月で周囲6キロのりっぱな城郭が完成した。それは今“華城(ファソン)”と呼ばれ、世界遺産に登録されて大勢の観光客を集めている。
その華城をゆっくり歩いていると、やはり、これほど壮大な城郭を築いた正祖の気持ちを推察してみたくなってくる。
彼は10歳のとき、思悼世子が英祖から厳罰に処せられる場面に立ち会い、必死に父の助命を願い出た。その願いが叶わず、思悼世子は悲惨な死を迎えた。その事実が正祖を終生苦しめたことだろう。
そういう意味では、華城は正祖にとって“鎮魂”の場所であったに違いない。巨大な建造物で大切な人を偲ぶ、というのは古今東西の歴史に見られることだ。そのために莫大な経費がかかり国の財政は大変だっただろうが、それでも正祖は我を通したのだった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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