ファン・ジニ(黄真伊)!男なら誰もが会いたがった

美しい容姿と優れた感性によって、男たちを手玉に取った妓生(キーセン)だったファン・ジニ(黄真伊)〔生没年不詳〕。正確な出自はわからないが、幼い頃に父親が家を出ていき、母親1人の手で育てられたというのが通説だ。





多くの男性に愛されたファン・ジニ

母親の英才教育を受けたファン・ジニは、7歳で難しい漢字を覚え始め、9歳になると自ら漢詩をつくるほどに成長した。
美しく聡明なファン・ジニに、恋心を抱く人は多かったが、厳格な彼女の母は、身分や能力が釣り合わないからと、すべて断っていた。
ある日、1人の青年が、ファン・ジニに恋をしてしまう。しかし、青年は自分の身分では彼女と結ばれることは叶わないと諦め、自ら命を断ってしまった。
村人たちは青年の遺体を入れた棺を台車に乗せて墓場に向かった。しかし、ファン・ジニの家の前を通ると、その台車は動かくなってしまう。村人たちは口を揃えて、青年の悲劇をあわれんだ。事情を聞いたファン・ジニは、自分の服を棺にかけてあげた。
すると、ピクリとも動かなかった台車がようやく動き出したという……。
この出来事が契機になって、ファン・ジニは妓生になったと言われている。それほど青年の死がもたらした衝撃が大きかったのだ。




ファン・ジニは妓生になるとすぐに評判となった。多くの有能な役人や金持ちの両班たちが先を争って、彼女を指名した。
ファン・ジニはどんなに求められようとも、自分が認めた人物としか会おうとしなかった。男尊女卑の朝鮮王朝の中で、自己の主張を通す生きざまは、時代を超えて多くの人々をひきつける。
しかし、自由奔放に生きたファン・ジニの誘惑に一切動じなかった人物がいる。それが当時最高の儒学者だった徐敬徳(ソ・ギョンドク)だ。
ファン・ジニはあらゆる手段を用いて誘惑するが、徐敬徳の深い知性と人柄に逆に惹かれていった。そして、2人は固い絆で結ばれた師弟になったという。
ファン・ジニは徐敬徳から様々なことを学び、妓生でありながら一流の儒学者にまで成長した。
やがて、死を予感した彼女は自分の生き方を真似る女性が出ないように次のような遺言を残したと言われている。
「自分が死んだら死体を棺に入れず、アリやトンビの餌にして、女性たちへの戒めにするように」

妓生のファン・ジニ(黄真伊)

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