朝鮮王朝の前の高麗王朝は、国教が仏教だった。しかし、仏教寺院が私有財産を増やして政治に介入し、国家衰退の原因になった。反対に、1392年に建国された朝鮮王朝は、仏教より儒教を重んじる体制を作り上げた。
儒教重視の政策
朝鮮王朝が儒教を崇拝するうえで、中心的な役割を果たしたのが、初代王・太祖(テジョ)に信頼されていた儒学者の鄭道伝(チョン・ドジョン)である。
彼は、儒教(特に朱子学)に精通した優秀な官僚が王道の政治を行なうことを朝鮮王朝の理想にした。その結果、仏教が排斥されて、儒教重視の政策が次々に採用されるようになった。
儒教を広めるためには教育が欠かせない。そこで、朝鮮王朝は儒教を学ぶ郷校(ヒャンギョ)を地方にたくさん作り、中央の最高学府として成均館(ソンギュングァン)を位置づけた。
朝鮮王朝では、全国的な官吏登用試験である科挙の試験問題も、儒教に関するものばかりだった。
当然ながら、出世を望む人たちはこぞって儒教を猛勉強した。
食生活も変わった。
仏教は殺生を禁じていたので、高麗王朝時代には肉食が根づかなかったが、朝鮮王朝時代に儒教が国教になると、朝鮮半島にも肉食が定着した。
社会規範の変化も著しかった。
儒教の重要な徳目である「親孝行」や「長幼の序」が重視され、序列を重んじる儒教の影響で身分制度も厳しくなった。
さらに、男尊女卑の風潮も強くなってしまった。
こうして、朝鮮半島では全土で儒教が広く浸透した。
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