知りたい朝鮮王朝20/張禧嬪の息子の景宗

正室の座を手に入れた張禧嬪(チャン・ヒビン)は、その後、ますますわがままが目立つようになり、時には粛宗(スクチョン)にさえ意見をした。粛宗はそんな張禧嬪にいら立ちをつのらせていった。

呪いの祭壇

「離縁したのは間違いだったのか……」
粛宗は仁顕(イニョン)王后を廃妃(ペビ)にしたことを後悔するようになった。
張禧嬪に恨みのある仁顕王后の一派は粛宗の心情を察すると、他の側室を巧みに利用して、張禧嬪の悪口を広めた。
それが度重なると、ようやく粛宗も張禧嬪に対し不信感をつのらせ、最後は彼女を再び側室に格下げした。そして、仁顕王后を正室に復帰させた。この決定に張禧嬪は絶望的になった。
自暴自棄になった彼女は、宮中に祭壇を作り仁顕王后の死を願う祈祷を繰り返した。
1701年、仁顕王后が亡くなった。張禧嬪はそのことを喜んだ。
しかし、彼女が正室に戻ることはなかった。呪いの祭壇を作っていたことが粛宗にバレてしまったのだ。




この時の粛宗の怒りは凄まじかった。
「神聖なる宮中に呪いの言葉を持ちこむとは、正気の沙汰ではない」
(ページ2に続く)

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