知りたい朝鮮王朝3/名君・世宗の誕生

3代王の太宗(テジョン)は1400年から1418年まで約18年間王位に就いたが、その間に4回も譲位(国王が王位を譲ること)騒動を起こした。これには、自身が王権を巡って血で血を洗う争いをしたことに対する自戒の念もあった。





長男の世子失格

太宗はこう考えた。
「急な病に倒れた時、王権は揺らいでしまう。ならば早いうちから王位を譲り、余は王の補佐に回って王権の強化に尽力しよう」
しかし、太宗が譲位を行なうさいに一つの問題があった。それは太宗が長男の譲寧(ヤンニョン)や二男の孝寧(ヒョニョン)よりも三男の忠寧(チュンニョン)に王の資質を見出していたことだ。
そのことを誰よりも感じていたのが譲寧だった。
「父上の心は忠寧に傾いておられる。確かに、忠寧は私より優秀で、よき王になれるだろう」
心優しい譲寧はそう決心すると、自分の王位継承権をなくすために愚かな振る舞いを始める。彼は酒に浸り、宮中を密かに抜け出しては地位の低い者たちと遊び歩いた。
当然、太宗の怒りを買った。譲寧のこうした愚行が続くとついに太宗は我慢の限界に達した。1418年、臣下たちからの反対にあいながらも太宗は譲寧から世子(セジャ/王の後継者)の資格を剥奪した。




兄の世子失格に一番衝撃を受けたのが二男の孝寧であり、彼は一段と学問に励み王としての徳を積む努力をした。
「兄が世子ではなくなった以上、二男である私が次の世子に任命されるはずだ」
(ページ2に続く)

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