カテゴリー:王妃

  • 最初に廃妃になった王妃は燕山君(ヨンサングン)の母!

    朝鮮王朝時代は一夫一婦制であり、国王もその制度をしっかり守っていた。つまり、在位中には正室が1人しかいなかった。その正室の中で、廃妃(ペビ)になった女性が何人もいる。特に、朝鮮王朝の歴史の中で一番最初に廃妃になったのが尹…
  • 文定王后(ムンジョンワンフ)を大妃にしてはいけなかった!

    本来であれば王妃にさえなれなかった女性が、最終的に大妃(テビ/国王の母)になって、朝鮮王朝を大混乱に陥れた。それが文定(ムンジョン)王后である。彼女はなぜ、絶対的に強い立場になれたのだろうか? クーデターのおかげで王…
  • 仁穆(インモク)王后は光海君(クァンヘグン)の斬首に執着した!

    光海君は1608年に15代王として即位したが、翌年に兄の臨海君(イメグン)を不穏分子として配流の末に殺し、1614年には異母弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)の命も奪った。さらに、永昌大君の母の仁穆(インモク)王后も大妃の…
  • 朝鮮王朝の人格に優れた5人の王妃は誰か

    朝鮮王朝には42人の王妃がいたが、中でも慈愛に包まれた人格者の王妃が5人いた。その5人とは、顕徳王后(ヒョンドクワンフ)、孝懿王后(ヒョウィワンフ)、端敬王后(タンギョンワンフ)、昭憲王后(ソホンワン)、仁顕王后(イニョ…
  • 42人の王妃の中で一番多かった名字のベスト3は?

    歴代王27人の妻となった王妃42人の姓を調べてみますと、一番多いのが「金(キム)」の10人でした。「金」は昔も今も朝鮮半島の人口の20%以上を占める“圧倒的に一番多い姓”ですから、王妃の姓に多いのも納得できます。その次に…
  • 王子を産んだ張禧嬪(チャン・ヒビン)はその後どうなった?

    1688年10月27日、一介の女官から粛宗(スクチョン)の側室になっていた張禧嬪(チャン・ヒビン)が王子を出産した。それが、後の20代王・景宗(キョンジョン)である。粛宗にとっては、27歳になって初めての息子だった。彼の…
  • 朝鮮王朝で女傑王妃と呼ばれた5人は誰か?

    朝鮮王朝では国王が絶対的な権力者であったが、実は国王以上に目立っていた王妃が何人もいた。それは、元敬(ウォンギョン)王后、貞熹(チョンヒ)王后、仁粋(インス)大妃、明聖(ミョンソン)王后、純元(スヌォン)王后の5人だった…
  • 光海君(クァンヘグン)の正室・柳氏(ユシ)の不運な人生!

    自分より8歳も若い女性が母となったら、どんなふうに接したらいいのだろうか。そんな難題が生じて、光海君(クァンヘグン)の正室の柳氏(ユシ)はほとほと困惑してしまった。きっかけは、14代王・宣祖(ソンジョ)の再婚だった。 …
  • 朝鮮王朝を不幸にさせた文定王后!

    本来であれば王妃にさえなれなかった女性が、最終的に大妃(テビ/国王の母)になって、朝鮮王朝を大混乱に陥れた。それが文定(ムンジョン)王后である。彼女はなぜ、絶対的に強い立場になれたのだろうか? クーデターのお…
  • 朝鮮王朝最高の聖女は『イ・サン』に登場した孝懿(ヒョイ)王后!

    朝鮮王朝の王妃の中で聖女として慕われたのが、正祖(チョンジョ)の正室であった孝懿(ヒョイ)王后である。しかし、彼女は毒殺される危機に瀕した。それは果たして、どんな事件だったのだろうか。 パク・ウネが演じた孝懿…

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