過去の記事一覧
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1701年8月に仁顕(イニョン)王后が亡くなります。彼女は1694年に王妃に復位しましたが、7年で世を去りました。最後の1年半はずっと病床にいて起きられない状態が続きました。仁顕王后が亡くなった直後に、「張禧嬪が呪い殺す…
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1623年、16代王・仁祖(インジョ)は、15代王・光海君(クァンヘグン)からクーデターで王位を奪った。有能な王の登場を予感させた仁祖だが、即位してからは失態が目立つようになった。1624年、クーデターの功臣・李适(イ・…
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1735年に生まれたイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)。彼は世子(セジャ)として甘やかされて育ったのだが、10歳のときに早くも政治の表舞台に出て老論派の政治手法を厳しく批判した。老論派といえば当時の主流派閥。イ・ソンは大…
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鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)の人生を振り返ってみると、低い身分から何が何でも抜け出てやろう、という悲壮なまでの覚悟が見えてくる。鄭蘭貞の母は奴婢(ぬひ)だったために、普通なら鄭蘭貞も同じ境遇で生きなければならなかったのだ…
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暴君と呼ばれた10代王・燕山君(ヨンサングン)の側室の1人だった張緑水(チャン・ノクス)。彼女は「朝鮮王朝3大悪女」の1人で、燕山君の傍若無人な振る舞いを助長した人物だ。そんな彼女の生涯を順を追って見ていこう。
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仁祖が即位してから13年後、1636年12月に朝鮮王朝に最大の危機が訪れた。強国の清が、10万人以上の兵力で攻め入ってきたのだ。そのとき、貞明公主はどのように行動したのか。
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中宗は韓国時代劇によく登場する国王だ。『宮廷女官 チャングムの誓い』でも堂々たる人物として描かれていたが、史実の中宗は嫌々ながら即位した国王だった。決して堂々としてはいなかったのだ。
優柔不断な態度
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仁粋(インス)大妃は、もともと、7代王・世祖(セジョ)の長男・懿敬(ウィギョン)の正妻である。懿敬は世子(セジャ/王の後継者)だったので、仁粋大妃も本来なら王妃になるはずだったのだが、懿敬が19歳で夭逝したために、それは…
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悪女にならざるをえない事情
朝鮮王朝時代では、社会の隅々まで浸透した儒教の影響で、男尊女卑の風潮がとても強かった。
女性は親の遺産の相続権がなかったし、結婚生活では夫から理不尽に離縁を強制されても受けざるをえなかった。…
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朝鮮王朝最高の名君と称された4代王・世宗(セジョン)の長男が世子(セジャ)となり、二男の首陽(スヤン)大君には王になる望みがなかった。しかし、野心家の彼はあきらめなかった。その末に、起こったのが王位強奪事件であった。
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