過去の記事一覧

  • 南海の孤島に流された光海君(クァンヘグン)の屈辱!(再読版)

    本当に暴君? 朝鮮半島の南海に浮かぶ孤島の済州島(チェジュド)は、朝鮮王朝時代に流刑地として知られた。 ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』でも、濡れ衣を着せられて済州島に流されたチャングムが、そこで医療を学んで再起を…
  • 朝鮮王朝にはこんな悪女たちがいた!

    悪女にならざるをえない事情 朝鮮王朝時代では、社会の隅々まで浸透した儒教の影響で、男尊女卑の風潮がとても強かった。 女性は親の遺産の相続権がなかったし、結婚生活では夫から理不尽に離縁を強制されても受けざるをえなかった。…
  • 一番美しい王女と呼ばれた敬恵(キョンヘ)王女の人生3

    敬恵王女が生んだ子は男だった。彼女の元を訪ねた内官は、世祖(セジョ)が「男なら殺せ」と命じたこと、貞熹(チョンヒ)王后が「男なら私のもとに連れてきて」と言ったことを伝えた。熟慮した末に、敬恵王女は生まれた子を貞熹王后のも…
  • 一番美しい王女と呼ばれた敬恵(キョンヘ)王女の人生2

    世祖(セジョ)は、敬恵王女の動向を気にした。彼女は「国で一番の美女」という評価も受けていて、庶民の間で人気が高かった。結局、世祖は、病床にある敬恵王女を見舞うという名目を付けて鄭悰(チョン・ジョン)を配流地から戻すことに…
  • 一番美しい王女と呼ばれた敬恵(キョンヘ)王女の人生1

    「朝鮮王朝で一番美しかった王女」と称されるのが、15世紀に生きた敬恵(キョンヘ)王女である。彼女は波瀾万丈の生涯を送った女性だ。果たして、敬恵王女の人生とは、どういうものだったのだろうか。 6歳で母を失う 敬…
  • 朝鮮王朝を不幸にさせた文定王后!

    本来であれば王妃にさえなれなかった女性が、最終的に大妃(テビ/国王の母)になって、朝鮮王朝を大混乱に陥れた。それが文定(ムンジョン)王后である。彼女はなぜ、絶対的に強い立場になれたのだろうか? クーデターのお…
  • 中宗と端敬王后を象徴する伝説とは?

    韓国にもさまざまな伝説が残されている。その中でも、朝鮮王朝時代から今も語り継がれる美しい伝説がある。それは、政略的に廃妃(ペビ)にされた妻が、夫である王に捧げた愛だ。その名も「チマ岩の伝説」と呼ばれている。 …
  • 正祖(チョンジョ)の最大の政敵が貞純(チョンスン)王后だった(再読版)

    現代にも通用する成長物語であったことが、時代劇『イ・サン』がこれほど人気を博した理由だろう。加えて、主役に扮したイ・ソジンの演技がとても良かった。名君の風格をよく体現していたと言える。 父の無念 イ・サンは、…
  • 土下座をして屈辱の謝罪をした国王は誰か?

    1636年12月、清の10万人を越える大軍に攻められた朝鮮王朝は、ついに降伏し、翌年の1月に16代王・仁祖(インジョ)が屈辱的な謝罪を強いられた。それを象徴する碑を訪ねた。 [caption id="attachmen…
  • 流刑地の済州島で絶命した国王は誰か?

    朝鮮王朝が実施した流刑は、罪の軽重によって流配地を決定するというものだった。つまり、重い罪を負うほど漢陽(ハニャン/現在のソウル)から遠い場所に流されたのである。特に、多かったのが朝鮮半島西南部の諸島や済州島(チェジュド…

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