過去の記事一覧

  • 〔朝鮮王朝三大悪女は誰なのか〕

    悪女にならざるをえない事情 朝鮮王朝時代では、社会の隅々まで浸透した儒教の影響で、男尊女卑の風潮がとても強かった。 女性は親の遺産の相続権がなかったし、結婚生活では夫から理不尽に離縁を強制されても受けざるをえなかった。…
  • 「王妃たちの朝鮮王朝6」

    勢道政治が横行 英祖は、後になって思悼世子を餓死させたことをとても後悔した。せめてもの罪滅ぼしとして、思悼世子の息子の英才教育に力を入れた。それが22代王となった正祖(チョンジョ)である。 彼の正妻は、孝懿(ヒョイ)王…
  • 「王妃たちの朝鮮王朝5」

    王妃となった張禧嬪 明聖(ミョンソン)王后の息子が19代王・粛宗(スクチョン)だった。ただし、明聖王后は、粛宗が正室の仁顕(イニョン)王后がいるにもかかわらず、側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)を寵愛することが不満だった。…
  • 「王妃たちの朝鮮王朝4」

    1623年のクーデター 明宗(ミョンジョン)の後を継いだ14代王・宣祖(ソンジョ)には、懿仁(ウィイン)王后という正妻がいたが、子供がいないまま1600年に45歳で亡くなった。その2年後に宣祖が迎えた継妃が仁穆(インモ…
  • 「王妃たちの朝鮮王朝3」

    暴君の悪政 成人した成宗は数々の政治的業績を残したが、問題を起こしたのが二番目の正妻となった斉献(チェホン)王后だった。彼女は後宮を追い落とす策略を露骨にやりすぎて、成宗の信頼を失った。さらに、成宗の顔をひっかいて傷を…
  • 「王妃たちの朝鮮王朝2」

    孤立した幼い王 世宗(セジョン)の長男が5代王・文宗(ムンジョン)として即位したが、病弱によって2年で亡くなり、その息子がわずか11歳で6代王・端宗(タンジョン)となった。 端宗の母は文宗の正妻だった顕徳(ヒョンドク)…
  • 「王妃たちの朝鮮王朝1」

    10歳の世子 李成桂(イ・ソンゲ)は1392年に朝鮮王朝を開いて、初代王・太祖(テジョ)となった。 太祖の最初の妻は、神懿(シヌィ)王后で、夫婦には息子が6人いた。上から芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳毅(バンイ)…

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