過去の記事一覧

  • 仁祖(インジョ)の人生はどこでおかしくなったのか

    朝鮮王朝の16代王・仁祖(インジョ)は、わかりづらい人物である。まるで二つの人生を歩んだかのように、成功と失敗が極端に分かれている。果たして、仁祖の歯車はどこでおかしくなってしまったのか。 光海君の甥 光海君(クァン…
  • 孟思誠(メン・サソン)は朝鮮王朝随一の清廉潔白な高官だった

    朝鮮王朝時代には、科挙に受かった高等官僚は人もうらやむ特権階級で、尊大な金満家になるのが普通だった。そんな中で、生涯を通じて清廉潔白だったのが孟思誠(メン・サソン/1360~1438年)だった。 雨漏りがする自宅 孟…
  • 世子(セジャ)はどのように教育されたのか

    朝鮮王朝では、国王の正式な後継者のことを世子(セジャ)と呼びました。筆頭候補は王の長男ですが、健康面や能力を見て二男以下が選ばれることもありました。その最終決定者は現役の王であり、王は春の吉日を選んで世継ぎを決めました。…
  • 歴代王の子供の人数はどれくらいだったのか

    朝鮮王朝の歴代王の子供の数を見ると、前期と後期で違いがある。わかりやすく言えば、前期の王には子供が多かったのに、後期には少なくなっている。これは、王の側室が前期に10人ほどいたのに、後期になると半減したことが影響している…
  • 李舜臣(イ・スンシン)は英雄物語の最高峰!

    1592年、大陸制覇の野望を抱いた豊臣秀吉が諸大名を動員して朝鮮半島に攻め入ったとき、朝鮮王朝は創設200年を迎えていました。この200年は外敵の侵攻がほとんどなく、穏やかな期間でした。逆に言えば、国防がおろそかになって…
  • 許浚(ホ・ジュン)は名著の執筆で多くの人命を救った!

    許浚(ホ・ジュン)は1539年に生まれました。彼にとって宿命的だったのは、庶子(妾の子供)であったことです。朝鮮王朝時代は身分制度が厳格で、庶子は出世できないことになっていました。 医師として大成 庶子であった許浚は…
  • 金宗瑞(キム・ジョンソ)はなぜ端宗(タンジョン)を守れなかったのか

    1452年に5代王・文宗(ムンジョン)が亡くなり、長男の端宗(タンジョン)が6代王となりますが、まだ11歳でした。この幼い端宗の後見人となったのが「大虎」と称された金宗瑞(キム・ジョンソ)でした。 首陽大君との対立 …
  • 朝鮮王朝の歴代王が一目でわかる一覧表

    朝鮮王朝の歴代王の生没年と在位期間と続柄を紹介します。朝鮮王朝は27人の王によって518年間も存続しました。なお、名前に「君」がついている王は、クーデターによって廃位になっています。 朝鮮王朝前期の国王 <国…
  • 朝鮮王朝の歴代王妃が一目でわかる一覧表

    朝鮮王朝の歴代王妃年と子供の数を紹介します。朝鮮王朝には518年間に27人の国王がいましたが、王妃は42人いました。朝鮮王朝は一夫一婦制でしたが、王妃が亡くなると国王はすぐに再婚しました。それで、王妃の数が42人になって…
  • 朝鮮王朝が信奉した儒教は朱子学である

    朝鮮王朝は儒教を国教にしたが、この場合の儒教とは具体的に“朱子学”のことであった。朱子学は、中国の宋代に興った儒教の一派で、朱子(1130~1200年)によって集大成された。 非常に理屈っぽい学問 それまで教訓的な説…

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