過去の記事一覧
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生没年/1457年~1494年
在位/1469年~1494年
成宗(ソンジョン)は、世祖(セジョ)の長男だった懿敬(ウィギョン)の息子である。1469年に即位したときはまだ12歳だったので、世祖の妻であった貞熹(チョン…
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『オクニョ 運命の女(ひと)』で最終回まで悪行を繰り返していたのが、尹元衡(ユン・ウォニョン)と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)の悪徳夫婦であった。実際の歴史では、2人はどんな末路をたどったのだろうか。
念願の貞敬夫人
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11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正室だった文定(ムンジョン)王后。彼女は自分が産んだ慶源大君(キョンウォンデグン)を王にするために、手段を選ばぬ悪行を重ねていた。特に、中宗の二番目の正室が産んだ12代王・仁宗(イ…
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生没年/1450年~1469年在位/1468年~1469年
7代王・世祖(セジョ)は即位すると同時に、長男の懿敬(ウィギョン)を後継者として指名した。しかし、懿敬はその2年後、19歳で原因不明の死を迎える。長男が死去する…
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朝鮮王朝の13代王・明宗(ミョンジョン)は、1534年に生まれた。父は11代王・中宗(チュンジョン)で、母は中宗の三番目の正室だった文定(ムンジョン)王后である。文定王后は中宗との間に1男4女をもうけたが、その「1男」が…
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生没年/1417年~1468年
在位/1455年~1468年
甥の6代王・端宗(タンジョン)から強引に王位を奪った世祖(セジョ)だが、在位した間は懸命に国事に励んだ。世祖は、朝鮮王朝の基本法典「経国大典」の編纂と、王の…
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餓死したあとに思悼世子(サドセジャ)と呼ばれるようになったイ・ソン。彼の妻は、後に高官となった洪鳳漢(ホン・ボンハン)の娘であった恵慶宮(ヘギョングン)だった。イ・ソンと恵慶宮はどんな夫婦であったのか。
息子はイ・サ…
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生没年/1441年~1457年
在位1452年~1455年
1452年、5代王・文宗(ムンジョン)の早すぎる死によって、残された端宗(タンジョン)はわずか11歳で6代王として即位した。しかし、叔父の首陽大君(スヤンデグ…
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『七日の王妃』の重要な登場人物は3人だ。10代王の燕山君(ヨンサングン)と、異母弟の晋城大君(チンソンデグン/後の中宗〔チュンジョン〕)。そして、端敬(タンギョン)王后だ。ドラマの中では異母兄弟の間で激しく揺れる端敬王后…
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朝鮮王朝の21代王の英祖(ヨンジョ)は、1694年に生まれた。父は19代王の粛宗(スクチョン)、母は側室の淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏だ(ドラマ「トンイ」の主人公)。異母兄は、粛宗と張禧嬪(チャン・ヒビン)の間に生まれ…
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