過去の記事一覧

  • 光海君はどんな国王だったのか3「外交戦術」

    近年になって歴史の研究が進むと、光海君(クァンヘグン)は暴君ではなくて、むしろ名君であったという声が起こってきます。イ・ビョンホンが主演した「王になった男」はそういう論調で作られた映画で、光海君の優れた行政能力が描かれて…
  • 『イニョプの道』をもっと楽しむための歴史知識!

    韓国時代劇『イニョプの道』では、良家の令嬢だったイニョプが最下層の奴婢に転落してしまう。そうした重要な出来事を理解するためには、基礎知識として「朝鮮王朝時代の身分制度」を知っておく必要があるだろう。 両班と中人 『イ…
  • 光海君はどんな国王だったのか2「兄弟の争い」

    光海君(クァンヘグン)を支持する政治的な派閥が大北(テブク)派です。大北派は光海君が王であり続けるかぎり大出世を果たせるので、自分たちの地位を守るために暗躍します。その中心で動いていたのが金介屎(キム・ゲシ)という女官で…
  • 仁祖(インジョ)が昭顕世子(ソヒョンセジャ)の一家を滅ぼした理由とは?

    世子(セジャ)といえば、朝鮮王朝の皇太子である。次の王が約束された身分なのだ。それなのに、その世子の中で外国の人質になった人がいる。それが、16代王・仁祖(インジョ)の長男だった昭顕世子(ソヒョンセジャ)である。 …
  • 思悼世子(サドセジャ)はなぜ妻と不仲だったのか?

    国王・英祖(ヨンジョ)の息子だった思悼世子(サドセジャ)と、高官・洪鳳漢(ホン・ボンハン)の娘であった恵慶宮(ヘギョングン)。2人は果たして、どんな夫婦だったのだろうか。 夫婦の息子は正祖 思悼世子と恵慶宮は…
  • 光海君はどんな国王だったのか1「宣祖の息子」

    光海君(クァンヘグン)はどのような王だったのでしょうか。父親は14代王・宣祖(ソンジョ)です。この宣祖は、朝鮮王朝で初めて側室から生まれた王でした。13代王までは、すべて王の正室から生まれています。それが嫡子なのですが、…
  • 朝鮮王朝の「称賛の五大偉人」とは誰か

    朝鮮王朝の五大偉人といえば、ハングルを作った世宗(セジョン)、儒学の大家の李退渓(イ・テゲ)、救国の英雄の李舜臣(イ・スンシン)、『東医宝鑑』を書いた許浚(ホ・ジュン)、朝鮮王朝後期の名君の正祖(チョンジョ)である。 …
  • 朝鮮王朝の「悲劇の五大王妃」とは誰か

    518年間も続いた朝鮮王朝には42人の王妃がいた。その中で「悲劇の五大王妃」と呼ばれたのは、顕徳(ヒョンドク)王后、端敬(タンギョン)王后、仁穆(インモク)王后、仁顕(イニョン)王后、明成(ミョンソン)皇后の5人だ。 …
  • 廃位となった光海君の妻の運命は?

    14代王の宣祖(ソンジョ)は、正妻の懿仁(ウィイン)王后が1600年に亡くなると、2年後には50歳ながら18歳の仁穆(インモク)王后を次の王妃に迎えた。そのとき、宣祖の二男の光海君(クァンヘグン)に嫁いでいた柳氏(ユシ)…
  • 仁祖(インジョ)と貴人(キイン)・趙氏(チョシ)はどれだけ悪人だったのか

    朝鮮王朝の16代王・仁祖(インジョ)が食べるアワビの焼き物に毒が盛られていることが発覚したのは1646年1月3日のことだった。宮中は大騒ぎになった。それはそうだろう。王の食卓にのぼる料理に毒を盛るというのは、あまりに大胆…

特集記事

ページ上部へ戻る