過去の記事一覧
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ドラマ「トンイ」のモデルとして有名な淑嬪(スクピン)崔(チェ)氏は、19代王・粛宗(スクチョン)の側室で、21代王・英祖(ヨンジョ)を産んだ生母である。しかし、淑嬪崔氏について書かれた資料は少なく、確実なのは、出生が貧し…
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朝鮮王朝5代王・文宗(ムンジョン)の娘である敬恵(キョンへ)王女は、朝鮮王朝の歴史上“最も美しい王女”と言われた女性だ。王族の娘は、10代半ばになると嫁に行かなければならず、敬恵王女は、名門出身のエリート・鄭悰(チョンジ…
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朝鮮王朝時代に名をとどろかせたもっとも有名な妓生(キーセン)だった黄真伊(ファン・ジニ)。妓生とは、歌や踊りで男性を接待する職業の女性を指す。黄真伊の正確な生没年はわからないが、関係のあった人物から推測すると、11代王・…
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米びつに閉じ込められた思悼世子(サドセジャ)の生死はどのようになっていたのだろうか。食料も水も与えられず狭い空間に閉じ込められたままの思悼世子は、まだ生きていたのかどうか。それは誰にもわからないことだった。
死後に名…
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英祖(ヨンジョ)は意地になって、「たったいま世子(セジャ)を廃したのだが、史官はちゃんと聞いていたのか」と大声を出した。史官といえば正式な記録を残す官僚である。英祖は、自分の言葉を正式な文書に残すことをはっきりと要求した…
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重臣たちは執拗に、思悼世子(サドセジャ)を告発した羅景彦(ナ・ギョンオン)の処罰を求めた。彼らは官僚機構の秩序を守るためにも羅景彦を生かしてはおけないと考えていたのだが、果たして理由はそれだけだったのか。むしろ、羅景彦に…
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思悼世子(サドセジャ)をめぐって朝鮮王朝が大混乱に陥ったのは、1762年5月22日のことだった。世子が住む東宮(トングン)で働く羅景彦(ナ・ギョンオン)という者が、「世子が内侍(ネシ/王宮に仕える宦官)たちと組んで謀反を…
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朝鮮王朝で最大の悲劇とも言える「世子の米びつ餓死事件」(1762年)。この事件の当事者は英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)だが、どうしてこんな悲劇が起こったのか。5回にわたって記事を掲載します。
政治改革を進め…
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貞明公主は、クーデターの直後には結婚できたが、20歳だったので、当時としては遅い結婚だった。当時のしきたりでは、王女は結婚したらすぐ外に出ることになっているので、外に大きな屋敷を構えた。
無能な王
異例だった…
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綾陽君は仁穆王后の怒りがあまりに大きいので、その場を退散して、また改めて出掛けた。仁穆王后も少し頭を冷やしたようで、「大義名分を出すには条件がある。あの化け物の首を取ってまいれ」と言った。
「首を取ってまいれ」
綾陽…
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