過去の記事一覧
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生没年/1414年~1452年
在位/1450年~1452年
文宗(ムンジョン)は1414年に4代王・世宗(セジョン)の長男として生まれた。幼い頃から偉大な父のもとで学んだ彼は、立派に成長した。学識があり、性格は穏やか…
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19代王・粛宗(スクチョン)は絶世の美女と評された張禧嬪(チャン・ヒビン)のとりこになり、彼女を側室にした。そして、張禧嬪は粛宗の長男を出産した。そうなると、粛宗は正室の仁顕(イニョン)王后を離縁する方向で動き始めた。
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生没年/1397年~1450年
在位/1418年~1450年
期待を一身に集めて王になった世宗。幼い頃から聡明で本を読むことを好んだ彼は、朝鮮王朝独自の文字「訓民正音(フンミンジョンウム)」を創製した王として有名だ。
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最悪の暴君と呼ばれた燕山君(ヨンサングン)は、1506年に高官たちが起こしたクーデターで王宮を追われた。彼の異母弟である晋城大君(チンソンデグン)は、高官たちから王の座に就くように説得を受けるが、それを断ってしまう。いっ…
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1623年にクーデターを成功させて15代王・光海君(クァンヘグン)を廃位させた綾陽君(ヌンヤングン)。彼はすぐに16代王・仁祖(インジョ)として即位した。しかし、彼の在位中は苦労の連続だった。
他に例がない
仁祖とい…
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生没年/1367年~1422年
在位/1400年~1418年
1400年、2代王・定宗(チョンジョン)から王位を譲り受けた李芳遠(イ・バンウォン)は、咸興(ハムン)にいる父の太祖(テジョ)に何人も使者を送った。しかし、…
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朝鮮王朝の14代王・宣祖(ソンジョ)には14人も息子がいた。しかし、当初は側室が産んだ王子たちばかりだった。その中で、長男が臨海君(イメグン)で、二男が光海君(クァンヘグン)である。
捕虜になった臨海君
臨海君と光海…
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生没年/1357年~1419年
在位/1398年~1400年
太祖(テジョ)には、8人の息子がいた。一番年下の八男が世子(セジャ/王の後継者)に指名されたが、五男の芳遠(バンウォン)はそれを認めず、八男を殺してしまう。…
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生没年/1335年~1408年
在位/1392年~1398年
約518年も続いた朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)。彼の父は高麗(コリョ)の武将として国土防衛の重責を担った。その父は1364年に亡くなり、二男の李成…
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韓国時代劇『オクニョ 運命の女(ひと)』は朝鮮王朝の13代王・明宗(ミョンジョン)の統治時代の話である。しかし、明宗は名ばかりの王だった。実母の文定(ムンジョン)王后が強権を持って官僚たちを牛耳っていたからである。
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