最強の3代王・太宗(テジョン)〔李芳遠(イ・バンウォン)〕/朝鮮王朝国王列伝3

生没年/1367年~1422年
在位/1400年~1418年

1400年、2代王・定宗(チョンジョン)から王位を譲り受けた李芳遠(イ・バンウォン)は、咸興(ハムン)にいる父の太祖(テジョ)に何人も使者を送った。しかし、李芳遠に対する怒りの収まらない太祖は、その使者をことごとく殺してしまった。この出来事によって、行ったきり戻ってこない人のことを「咸興差使(ハムンチャサ)」と呼ぶようになった。

写真=植村誠

王権の大部分を握っていた太宗

1402年、意地を通していた太祖だが、旧知の無学大師(ムハクテサ)の説得を受けて、李芳遠と和解して帰京した。そして、1408年に波瀾万丈の74年間の人生を終えた。
名実ともに芳遠は3代王・太宗(テジョン)となった。彼は、王族の私的な兵の所有を禁止した。これは、王位をめぐって王族間で争いが起きるのを防ぐためだった。




太宗は王位を無理やり奪ったイメージが強いが、太祖が建国した朝鮮王朝の基盤を固めたと高く評価されている。
また、太宗は1400年から1418年の18年間にわたって、4回も禅位騒動(後継者に王位を譲ること)を起こしている。
これは余力があるうちに王位を退いて、上王として政治を裏で操ろうと考えたからだ。1418年、太宗は三男の忠寧(チュンニョン)に王位を譲り、忠寧が4代王・世宗(セジョン)として即位した。
太宗は世宗に王位を譲りながらも、王権の大部分を掌握していた。実質的には太宗が王位に就いているのと変わらなかった。世宗が王としてその真価を発揮し始めるのは、太宗が死んだ1422年からだった。

記事提供:「朝鮮王朝オッテヨ」

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朝鮮王朝の歴史はこうなっている(中編)

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