孟思誠(メン・サソン)は朝鮮王朝随一の清廉潔白な高官だった

朝鮮王朝時代には、科挙に受かった高等官僚は人もうらやむ特権階級で、尊大な金満家になるのが普通だった。そんな中で、生涯を通じて清廉潔白だったのが孟思誠(メン・サソン/1360~1438年)だった。

雨漏りがする自宅

孟思誠は、朝鮮王朝初期の名宰相で、初代王の太祖(テジョ)から4代王の世宗(セジョン)まで仕えて政治の中枢を担った。
1431年に完成した「太宗(テジョン)実録」(3代王・太宗の治世時代の記録)の編纂を担当したが、ときの王だった世宗が「先に見たい」と言っても許可しなかったという。最高権力者が先王の記録を意図的に書き直すことを防ぐためだったが、孟思誠の一貫した姿勢は、後の編纂者の模範となった。
望みうる最高の出世を果たしただけに、孟思誠もさぞかし裕福な暮らしをしていると思われたが、実際に彼の家は雨漏りのする小屋だった。
訪ねてきた大臣も困り果てた。
孟思誠夫婦は来客の応対もそっちのけで、家の中で雨の漏る場所に器を置くのに忙しかったからだ。
ただ立ちすくんでいた大臣は、雨漏りで服を濡らして帰った。
あるとき、孟思誠が故郷に凱旋することになった。地元の官吏たちは村の入口で出迎えようとした。
けれど、正装した官吏たちが待っていても、従者を伴った輿は一向にやってこない。それどころか、粗末な服を来た老人が牛に乗ってトボトボと歩いてきた。
(ページ2に続く)

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