「王妃たちの朝鮮王朝6」

勢道政治が横行

英祖は、後になって思悼世子を餓死させたことをとても後悔した。せめてもの罪滅ぼしとして、思悼世子の息子の英才教育に力を入れた。それが22代王となった正祖(チョンジョ)である。
彼の正妻は、孝懿(ヒョイ)王后である。すばらしい人格者で、宮中でも評判がとても良かった。正祖との子供を産むことはできなかったが、今でも「もっとも徳があった王妃」と評価されている。
朝鮮王朝後期の名君と評された正祖は1800年に48歳で亡くなり、後を継いだのは10歳の純祖(スンジョ)だった。あまりに幼かったので、立場上は曾祖母にあたる貞純王后が垂簾聴政を行なった。
彼女は、正祖時代に冷遇された自分の一派を重用し、正祖の重臣たちを次々に排除した。正祖が実行した改革も元に戻してしまい、政治を停滞させた。また、キリスト教を弾圧して、罪のない人を多く処刑した。
1805年に60歳で世を去ったが、貞純王后がもたらした弊害は大きかった。
その後、政治の実権を握ったのは、純祖の正妻だった純元(スヌォン)王后の実家にあたる安東(アンドン)・金(キム)氏の一族だった。
彼らは政権の要職を独占して反対派を粛清。世間では収賄が横行し、社会が乱れた。各地で反乱が起きると、純祖はようやく勢道政治(外戚が仕切る政治)の弊害を自覚するようになり、政治勢力の分散をはかった。しかし、政治の混迷は終わらなかった。
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