中宗と端敬王后を象徴する伝説とは?

韓国にもさまざまな伝説が残されている。その中でも、朝鮮王朝時代から今も語り継がれる美しい伝説がある。それは、政略的に廃妃(ペビ)にされた妻が、夫である王に捧げた愛だ。その名も「チマ岩の伝説」と呼ばれている。





仲睦まじい夫婦

時代は、10代王・燕山君(ヨンサングン)の暴政が官僚たちのクーデターによって終結し、11代王・中宗(チュンジョン)に変わったとき。中宗は、自らの意思ではなく官僚たちによって王に祭り上げられた。そのため彼は、高官たちが強行する様々な政策を抑制できなかった。
中宗の正妻は端敬(タンギョン)王后だった。「仲睦まじい夫婦」として王宮でも評判だった。
ところが、端敬王后の父が燕山君の側近だったため、高官たちは中宗に王妃と離縁するよう迫ったのである。
高官たちの強硬な意見をやむなく受け入れてきた中宗だが、妻の離縁だけは同意するわけにはいかなかった。
彼は、愛妻を守るために、何度も高官たちと話し合った。しかし、その願いは届かず、高官たちに従わざるをえなかった。




離縁しなければ端敬王后を「殺害すべき」という仰天発言まで出てしまい、中宗は仕方なく受け入れたのである。
その結果、端敬王后は庶民に格下げとなり、宮中から追放されてしまう。
実家に戻った端敬王后。中宗は彼女のことが忘れられなかった。もとはと言えば、中宗が弱気すぎて愛する妻を離縁せざるをえなかったのだが……。
中宗は、端敬王后を思い出すたびに、遠くを見渡せるようにと王宮の一番高い場所へ上がっていった。
そして、彼女の実家の方向を眺めてはため息をもらすのだった。
(ページ2に続く)

中宗(チュンジョン)/朝鮮王朝人物紀行3

中宗(チュンジョン)は時代劇で立派に描かれるが実際はダメな国王だった!

『七日の王妃』の端敬(タンギョン)王后と中宗(チュンジョン)の「別れる理由」とは?

『七日の王妃』の端敬(タンギョン)王后はどんな女性だったのか



固定ページ:

1

2

関連記事

特集記事

ページ上部へ戻る