暴君だった燕山君の母も大変な王妃だった!

朝鮮王朝時代は一夫一婦制であり、国王もその制度をしっかり守っていた。つまり、在位中には正室が1人しかいなかった。その正室の中で、廃妃(ペビ)になった女性が何人もいる。特に、朝鮮王朝の歴史の中で一番最初に廃妃になったのが尹(ユン)氏だった。





廃妃の理由

9代王・成宗(ソンジョン)は、最初の正室を病気で亡くした後、側室の中から次の王妃を選んだ。それが尹(ユン)氏だった。
尹氏は、自分が側室から王妃になりながら、今度は成宗の側室に対して大変厳しい目を向けるようになった。
特に、成宗に気に入られている側室の毒殺を狙った。そのために、部屋にヒ素を持ち込んでいた。
偶然にも成宗がそのヒ素を見つけてしまった。これによって、尹氏は成宗から遠ざけられて寂しく暮らした。
そのうちに精神が錯乱してしまったのかもしれない。久しぶりに成宗が訪れたときに、なんと成宗の顔を激しく引っかいてしまった。
これによって、尹氏は朝鮮王朝で初めての廃妃となった。
実家に戻った尹氏の暮らしは厳しかった。王宮の中には尹氏に同情する声もあり、「なんとか元王妃の暮らしを支えてあげたい」という声も広まった。




成宗は使者を送って尹氏の状況を調べさせた。場合によっては、王宮に戻してあげようという気持ちもあったのだ。
使者が尹氏を訪ねると、確かに反省して質素に暮らしていた。そのことを使者は成宗に報告しようとしたのだが、その途上で仁粋大妃(インステビ)に捉まった。
仁粋大妃は成宗の実母である。そして、尹氏を嫌っていた。
仁粋大妃は、「あの女は反省もせず傲慢に暮らしていました、と殿下に報告しなさい」と使者を脅迫した。
仁粋大妃といえば、そのころは絶大な権力を持っていた。使者は逆らうことができずに、仁粋大妃の言うとおりに報告した。
成宗は激怒して尹氏に自害を命じた。
尹氏は「廃妃から死罪」という悲しい結末を迎えたのである。
(ページ2に続く)

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