過去の記事一覧
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11代王・中宗(チュンジョン)には3人の妻がいた。最初の妻は父が燕山君(ヨンサングン)の側近だったために追放された端敬(タンギョン)王后。2人目の妻は12代王・仁宗(インジョン)を産んですぐに亡くなった章敬(チャンギョン…
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10代王・燕山君(ヨンサングン)の暴政は、臣下たちのクーデターで終結した。彼の後を継いだのは異母弟の11代王・中宗(チュンジョン)。自分の意思とは関係なく臣下のみこしに乗って王になった彼は、強引な政策を続ける側近に異論を…
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張緑水(チャン・ノクス)〔?~1506年〕は、両班(ヤンバン)の父と妾の間に生まれた。妾の娘だった彼女は、生まれながらに奴婢(最下層の身分)にされた。張緑水は己の境遇を呪った。どうにかして自分の身分を改善しようと思った彼…
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9代王・成宗は王としては多くの偉業を残した。しかし、女好きがたたり、多くの問題も起こしている。その筆頭が廃妃(ペビ)・尹氏(ユンシ)との問題だ。果たして、それはどんなことだったのだろうか。
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仁粋(インス)大妃は、もともと、7代王・世祖(セジョ)の長男・懿敬(ウィギョン)の正妻である。懿敬は世子(セジャ/王の後継者)だったので、仁粋大妃も本来なら王妃になるはずだったのだが、懿敬が19歳で夭逝したために、それは…
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7代王・世祖(セジョ)がまだ王子時代だった1428年に彼と結婚した貞熹(チョンヒ)王后(1418-1483年)。本来は次男で王位に縁がないはずの夫が1455年に甥から王位を奪い、その結果、貞熹王后も王妃になることができた…
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1414年、文宗(ムンジョン)は4代王・世宗(セジョン)の長男として生まれた。頭が良く学問を好んでいた。しかし、病弱だったことが彼の夫婦生活に影響を及ぼしていた。そんな文宗には3人の妻がいた。
2人の正室の惨…
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ハングルを作ったことで有名な4代王・世宗(セジョン)。その彼を支えたのが妻の昭憲(ソホン)王后(1395-1446年)である。彼女が王妃になったことで実家が大いに繁栄したが、その後、まるで奈落の底に落ちたかのように地獄の…
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1392年に朝鮮王朝を建国した太祖(テジョ)の五男である芳遠(バンウォン)は、1400年に3代王の太宗(テジョン)となった。その彼を妻として支えたのが元敬王后(ウォンギョン)王后(1365-1420年)だが、その生活は、…
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朝鮮王朝の27の王たちを支えたのが、王妃や側室である。彼女たちは、韓国時代劇のもう1人の主役と言ってもいいだろう。王妃や側室となった女性たちの人物像と歩んだ道をたどってみたい。
大事な後継者選び
1392年に朝鮮王朝…
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