過去の記事一覧
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21代王・英祖(ヨンジョ)の長男は孝章(ヒョジャン)という人だが、9歳で病死してしまった。そこで二男の荘献(チャンホン)が世子となった。彼は頭脳明晰だった。英祖は10代半ばの荘献に政治の一部を代行させ、荘献も期待に応えて…
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14代王・宣祖(ソンジョ)と仁穆(インモク)王后は、優れた書をしたためることでともに評価が高かった。その2人の血を受け継いだ貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)。書の才能が抜きんでていた。生活が苦しく日用品が不足していた…
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1603年、仁穆(インモク)王后は14代王・宣祖(ソンジョ)の子供を産んだ。王子ではなく、王女であった。この王女こそが貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)だった。貞明公主に弟が生まれたのは、彼女が3歳のときである。仁穆王…
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韓国で2016年に放送されて特に好評を博した時代劇が『雲が描いた月明かり』であった。このドラマの主人公になっていたのが孝明(ヒョミョン)世子だ。あまりに早く亡くなったために、歴史上でもそれほど知られていなかったのだが、『…
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韓国時代劇『オクニョ 運命の女(ひと)』は朝鮮王朝の13代王・明宗(ミョンジョン)の統治時代の話である。しかし、明宗は名ばかりの王だった。実母の文定(ムンジョン)王后が強権を持って官僚たちを牛耳っていたからである。
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尹元衡(ユン・ウォニョン)は、取るに足らない人間だった。しかし、自分の力ではなく、姉の権力を利用して成り上がっていった。その姉というのが、11代王・中宗(チュンジョン)の3人目の正室となった文定(ムンジョン)王后だった。…
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1645年4月23日、昭顕(ソヒョン)は帰国してから2カ月後に高熱を出して倒れてしまう。彼に仕えていた高官たちは、回復することを願って李馨益(イ・ヒョンイク)の鍼治療に望みを託した。しかし、病状は悪化してしまい、昭顕は4…
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貴人(キイン)趙氏(チョシ)は、16代王・仁祖(インジョ)の側室だった女性だ。いったい彼女は存命中に何をして悪女と呼ばれるようになったのか。貴人・趙氏の人生の歩みを辿ってみよう。
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ドラマ『王女の男』で、女優のホン・スヒョンが演じたことで広く知られるようになった敬恵(キョンヘ)王女。ドラマの中で描かれた彼女の境遇は、天国から地獄に落ちたような感じだったが、実際はどんな人生を歩んだのだろうか。
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元敬(ウォンギョン)王后は、初代王・李成桂(イ・ソンゲ)の五男である芳遠(バンウォン)の妻で、夫を王にするために大きな働きをした女性だ。しかし、そんな彼女の人生は幸せなものではなかった。
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