過去の記事一覧
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朝鮮王朝時代の女性を語るときには、「内命婦(ネミョンブ)」と「外命婦(ウェミョンブ)」という言葉がよく出てくる。どういう意味なのだろうか。ここで具体的に説明していこう。
正一品は「嬪」
まずは、内命婦について。
本来…
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幼い国王が即位したとき、王族の最長老女性が摂政をすることを「垂簾聴政(すいれんちょうせい)」と呼んだ。歴史的には中国の皇室でよく行なわれたことだが、それは朝鮮王朝も同じだった。この場合、王族の最長老女性に該当するのは、幼…
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朝鮮王朝の前の高麗王朝は、国教が仏教だった。しかし、仏教寺院が私有財産を増やして政治に介入し、国家衰退の原因になった。反対に、1392年に建国された朝鮮王朝は、仏教より儒教を重んじる体制を作り上げた。
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『オクニョ 運命の女(ひと)』に登場する鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)。彼女はもともと奴婢(ぬひ)だった。つまり、最下層の出身だったのだが、文定(ムンジョン)王后の弟の尹元衡(ユン・ウォニョン)の妾になって宮中でも高い地位…
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ドラマ『オクニョ 運命の女(ひと)』は、朝鮮王朝でも13代王の明宗(ミョンジョン)の統治時代が舞台になっている。明宗の父親は中宗(チュンジョン)で、兄は仁宗(インジョン)である。3人とも、名に「宗」がついている。これには…
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古代の朝鮮半島で一番の国際人といえば、それはもう張保皐(チャン・ボゴ/?~846年)をおいて他にいない。彼は海を支配して日本や中国と自在に貿易を行ない、国王をしのぐほどの力を手に入れた。そのスケールの大きな活動は、古代史…
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668年に高句麗(コグリョ)が滅んだあと、その領地に住んでいた遺民たちの運命は大きく分かれた。捕虜として唐に連れていかれた人もいれば、難民として新天地をめざした人もいる。ただし、多くの遺民は旧領地に残って、志がある人たち…
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660年、百済(ペクチェ)は新羅(シルラ)と唐の連合軍に攻められた。相手は圧倒的な兵力を誇っていた。百済の国内は危機感に包まれた。都の扶余(プヨ)では、政権の中枢を担う人たちが侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を重ねてい…
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「善徳(ソンドク)」は死後に付けられた諡(おくりな)である。新羅(シルラ)の善徳女王(?~647年)の本来の名は徳曼(トンマン)と言う。生年は定かでない。新羅26代王の真平(チンピョン)王の長女として生まれた。
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「古代から高麗王朝時代までの朝鮮半島で最も尊敬する大人物は?」という質問を現在の韓国で投げかけたら、間違いなく広開土大王(クァンゲトデワン/375年~413年)の名が一番多くあがるだろう。朝鮮半島から中国東北部にかけて広…
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