過去の記事一覧

  • 『華政』の主人公・貞明公主の歴史3「才能」

    15代王・光海君(クァンヘグン)によって最愛の弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)を殺された貞明(チョンミョン)公主。彼女自身も王女から庶民に格下げとなり、母の仁穆(インモク)王后と一緒に西宮(ソグン/現在の徳寿宮〔トクスグ…
  • 『華政』の主人公・貞明公主の歴史2「悲劇」

    14代王・宣祖(ソンジョ)と仁穆(インモク)王后を両親にして1603年に生まれた貞明公主(チョンミョンコンジュ)。弟は3歳下の永昌大君(ヨンチャンデグン)だった。宣祖が1608年に亡くなり、異母兄の光海君(クァンヘグン)…
  • 『華政』の主人公・貞明公主の歴史1「誕生」

    公主(コンジュ)というのは、王の正室が産んだ王女のことだ(王の側室が産んだ王女は翁主〔オンジュ〕と言う)。数多くの公主の中でも、貞明公主(チョンミョンコンジュ)は歴史的に有名だ。どんな女性だったのだろうか。 [capt…
  • 朝鮮王朝の終焉/康熙奉の朝鮮王朝人物史27

    政権を掌握して開国政策を進めた明成(ミョンソン)王后は、興宣大院君(フンソンデウォングン)が仕掛けた政変で1882年に追放されます。しかし、彼女は清に助力を求めて巻き返しをはかり、再び王朝内で主導権を奪い取ります。その結…
  • 興宣大院君の政治/康熙奉の朝鮮王朝人物史26

    高宗(コジョン)は王になったときにまだ11歳でした。父の興宣大院君(フンソンデウォングン)が摂政を行ないましたが、彼は荒廃していた景福宮(キョンボックン)の再建に乗り出しました。この景福宮は1592年に豊臣軍の攻撃を受け…
  • 哲宗の即位/康熙奉の朝鮮王朝人物史25

    貞純(チョンスン)王后は、垂簾聴政から引退した翌年の1805年に60歳で世を去りましたが、代わって実権を握ったのが安東(アンドン)・金(キム)氏の一族でした。この「安東」というのは、一族の流派を示す本貫(ポングァン)のこ…
  • 貞純王后の暗黒/康熙奉の朝鮮王朝人物史24

    正祖(チョンジョ)は名君として今の韓国でも尊敬されています。4代王・世宗(セジョン)ほどではないにしても、その次くらいの評価を得ています。政治的な業績もたくさんありますが、特に身分が低くても才能がある人を抜擢して、将来に…
  • 正祖の時代/康熙奉の朝鮮王朝人物史23

    正祖(チョンジョ)の即位後の第一声が「朝鮮王朝実録」に詳しく出ています。そのとき正祖は居並ぶ臣下を前にしてこう言いました。「嗚呼!寡人は思悼世子(サドセジャ)の子なり」。この「寡人」というのは、王が自分のことをいうときの…
  • 英祖が起こした悲劇/康熙奉の朝鮮王朝人物史22

    粛宗(スクチョン)は1720年に59歳で世を去ります。後を継いだのは張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子で、20代王の景宗(キョンジョン)として即位しました。この景宗はとても性格がよかったそうで、張禧嬪とは違って人望もありまし…
  • 張禧嬪の死罪/康熙奉の朝鮮王朝人物史21

    せっかく王宮に戻ってきた仁顕(イニョン)王后ですが、病弱で床に臥せっていることが多かったようです。その末に1701年8月に亡くなりました。このとき、張禧嬪(チャン・ヒビン)が祠を建てて仁顕王后を呪い殺そうとしていたことが…

特集記事

ページ上部へ戻る