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  • 朝鮮王朝で王妃はどう生きたのか/第4章「政変」編

    明宗(ミョンジョン)の後を継いだ14代王・宣祖(ソンジョ)には、懿仁(ウィイン)王后という正妻がいたが、子供がいないまま1600年に45歳で亡くなった。その2年後に宣祖が迎えた継妃が仁穆(インモク)王后だった。 162…
  • 朝鮮王朝で王妃はどう生きたのか/第3章「悪政」編

    成人した成宗は数々の政治的業績を残したが、問題を起こしたのが二番目の正妻となった斉献(チェホン)王后だった。彼女は後宮を追い落とす策略を露骨にやりすぎて、成宗の信頼を失った。 暴君の悪政 成宗の顔をひっかいて傷を負わせ…
  • 朝鮮王朝で王妃はどう生きたのか/第2章「激動」編

    世宗(セジョン)の長男が5代王・文宗(ムンジョン)として即位したが、病弱によって2年で亡くなり、その息子がわずか11歳という年齢で6代王・端宗(タンジョン)となった。 孤立した幼い王 端宗の母は文宗の正妻だった顕徳(ヒ…
  • 朝鮮王朝で王妃はどう生きたのか/第1章「建国」編

    李成桂(イ・ソンゲ)は1392年に朝鮮王朝を開いて、初代王・太祖(テジョ)となった。太祖の最初の妻は、神懿(シヌィ)王后で、夫婦には息子が6人いた。上から芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳毅(バンイ)、芳幹(バンガン)…
  • 朝鮮王朝の人格に優れた5人の王妃は誰か/五大人物史2

    朝鮮王朝には42人の王妃がいたが、中でも慈愛に包まれた人格者の王妃が5人いた。その5人とは、顕徳王后(ヒョンドクワンフ)、孝懿王后(ヒョウィワンフ)、端敬王后(タンギョンワンフ)、昭憲王后(ソホンワンフ)、仁顕王后(イニ…
  • 朝鮮王朝で女傑王妃と呼ばれた5人は誰か?/五大人物史1

    朝鮮王朝では国王が絶対的な権力者であったが、実は国王以上に目立っていた王妃が何人もいた。それは、元敬(ウォンギョン)王后、貞熹(チョンヒ)王后、仁粋(インス)大妃、明聖(ミョンソン)王后、純元(スヌォン)王后の5人だった…
  • 朝鮮王朝で最初に廃妃・死罪になった王妃は誰か(歴史編)

    9代王の成宗(ソンジョン)は政治的には名君でしたが、女性問題で王宮を騒がせたことが何度もありました。その最たることが、燕山君(ヨンサングン)の生母が廃妃(ペビ)になった事件でした。 呪術的な儀式 成宗にとって…
  • 朝鮮王朝の人格に優れた5人の王妃は誰か(歴史編)

    朝鮮王朝には42人の王妃がいたが、中でも慈愛に包まれた人格者の王妃が5人いた。その5人とは、顕徳王后(ヒョンドクワンフ)、孝懿王后(ヒョウィワンフ)、端敬王后(タンギョンワンフ)、昭憲王后(ソホンワンフ)、仁顕王后(イニ…
  • 朝鮮王朝の人格に優れた5人の王妃は誰か

    朝鮮王朝には42人の王妃がいたが、中でも慈愛に包まれた人格者の王妃が5人いた。その5人とは、顕徳王后(ヒョンドクワンフ)、孝懿王后(ヒョウィワンフ)、端敬王后(タンギョンワンフ)、昭憲王后(ソホンワンフ)、仁顕王后(イニ…
  • 42人の王妃の中で一番多かった名字のベスト3は?

    歴代王27人の妻となった王妃42人の姓を調べてみますと、一番多いのが「金(キム)」の10人でした。「金」は昔も今も朝鮮半島の人口の20%以上を占める“圧倒的に一番多い姓”ですから、王妃の姓に多いのも納得できます。その次に…

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