昭顕の妻と息子までもが……
本来なら、世子の死を嘆き悲しむはずなのに、なんと仁祖は昭顕世子の葬儀を信じられないくらいに冷遇した。
そこから、「仁祖が息子を毒殺した」という風評が立つようになった(その可能性がかぎりなく高いことが後に明らかになっている)。
しかも、仁祖は昭顕世子の妻であった姜(カン)氏を次の標的にした。
実は、仁祖が食べるアワビから毒が検出されたのだが、その罪を姜氏になすりつけて、彼女を死罪にしてしまった。
さらに、昭顕と姜氏の間に生まれた息子3人を島流しにした。そのうちの2人は仁祖が送った刺客に殺されたと見られている。
このように、仁祖は長男であった昭顕世子の一家を滅ぼしてしまったのである。
なぜそこまで仁祖は息子を憎んだのか。
恨みのある清に傾倒したことが絶対に許せなかったのだ。
なんと、器が小さい王であったことか。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
不可解な昭顕世子(ソヒョンセジャ)の急死/朝鮮王朝歴史全集11