『王女の男』に登場する敬恵王女の生涯/中編

胸が張り裂ける思い

結局は失敗して錦成大君は死罪となってしまった。
世祖は「端宗が生きているかぎり、騒動が収まらない」と考え、ついに端宗を死に至らしめた。その悲報を敬恵王女はどんな気持ちで聞いたのであろうか。胸が張り裂ける思いであったに違いない。
ただ、どんなに悲劇が敬恵王女を襲おうとも、彼女は何が何でも生き抜かなければならなかった。お腹には新しい生命が宿っていたのだから……。
しかし、敬恵王女の妊娠を知って、世祖は異様に警戒するようになった。その末に、彼はある命令を下した。それは、「生まれてくる子が男であったなら、ただちに殺せ」というものだった。世祖は後の復讐を恐れたのだ。
しかし、その命令を知った貞熹(チョンヒ)王后は内官を読んでひそかに違う命令を発した。
「生まれた子が男だったら、こっそりと私のところに連れてきてほしい。すべての責任は私が取るから」




貞熹王后は文宗(ムンジョン)の血を後世に残したかったのだ。その可能性があるのは、もはや敬恵王女の子供しかいなかった。
だからこそ、敬恵王女の子供を殺すのが忍びなかったのである。
(後編に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

『王女の男』に登場する敬恵王女の生涯/前編

『王女の男』に登場する敬恵王女の生涯/後編

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