タグ:光海君
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14代王の宣祖(ソンジョ)は、正妻の懿仁(ウィイン)王后が1600年に亡くなると、2年後には50歳ながら18歳の仁穆(インモク)王后を次の王妃に迎えた。そのとき、宣祖の二男の光海君(クァンヘグン)に嫁いでいた柳氏(ユシ)…
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朝鮮王朝15代王・光海君(クァンヘグン)は、10代王・燕山君(ヨンサングン)と同じく暴君として知られているが、彼の業績を見直そうという動きもある。果たして、光海君は本当に暴君なのだろうか。
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豊臣軍との戦争は、朝鮮王朝の王の後継者問題にも影響を与えます。14代王・宣祖(ソンジョ)の息子が戦乱の中で明暗を分けたのです。長男の臨海君(イメグン)は加藤清正の捕虜になってしまいましたが、次男の光海君(クァンヘグン)は…
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朝鮮王朝の14代王・宣祖(ソンジョ)には14人も息子がいた。しかし、当初は側室が産んだ王子たちばかりだった。その中で、長男が臨海君(イメグン)で、二男が光海君(クァンヘグン)である。
捕虜になった臨海君
臨海君と光海…
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本当に暴君?
朝鮮半島の南海に浮かぶ孤島の済州島(チェジュド)は、朝鮮王朝時代に流刑地として知られた。
ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』でも、濡れ衣を着せられて済州島に流されたチャングムが、そこで医療を学んで再起を…
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1623年3月12日の明け方、仁祖(インジョ)に統率された1000人あまりのクーデター軍が王宮を襲い、光海君は王の座から追放された。そのとき、クーデター軍は光海君の罪状を4つ掲げた。それが、反乱を起こした大義名分になった…
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