タグ:歴史

  • 国王の結婚式は国中がお祭騒ぎになった!

    朝鮮王朝では、王室の結婚式のことを「国婚(クッコン)」と呼んでいました。この「国婚」には、王妃を迎える儀式、世子(セジャ/王の後継者)の妻を迎える儀式、王子が妻を迎える儀式、王の娘が嫁に行く儀式の4種類がありましたが、も…
  • なぜ景福宮(キョンボックン)は273年間も放置されたのか?

    景福宮(キョンボックン)は朝鮮王朝の建国当初から正宮だった。それほど重要な場所であったのに、1592年の豊臣軍の攻撃時に焼失してから、再建されずにずっと放置されたままだった。 [caption id="attachme…
  • 健康管理では名君と程遠かった世宗(セジョン)!

    王の食膳に並べられた豪華料理の数々。「食べきれないのに、なぜあんなに多くの品数を出すのだろうか」と疑問に思っていたが、あれは食べるための料理ではなかったのである。それでは何のため? 答えは「見るため」だった。 …
  • 警察官の朴文秀(パク・ムンス)

    王は朝鮮王朝において絶大な権力を持つ。しかし、歴代の王にとって悩みの種だったのが、地方の役人たちの不正だった。悪徳役人が監視の目を盗んで私利私欲のために庶民の生活を圧迫することがよくあった。そうした悪徳役人を摘発するため…
  • 朝鮮王朝にはこんなにも王位継承をめぐる重大事件が多かった!

    朝鮮王朝の歴史で注目したいのは、歴代王の即位に至る経緯である。なぜそこにこだわるかといえば、王権の安定に決定的に影響していたからだ。もっとわかりやすくいえば、「正室から生まれたのか、側室から生まれたのか」「長男なのか、二…
  • 宋時烈(ソン・シヨル)とは誰なのか?

    朝鮮王朝の一番の弊害と言われたのが「党争」ですが、中でも「党争の元凶」と称されたのが宋時烈(ソン・シヨル/1607~1689年)です。彼が高官だった17世紀後半は朝鮮王朝でも一番党争が激しい時期でした。 論争となった…
  • 金万徳(キム・マンドク)!大ピンチの済州島を救った女商人

    朝鮮半島の本土からはるかに離れた場所にある孤島・済州島(チェジュド)。古くから稲作が難しく米は大変貴重なものであった。島民たちは島の特産物を本土へ運んでは、米や最低限の生活必需品を買って生活していた。 生活に…
  • 中宗(チュンジョン)は結局は「代理の王」だったのか

    燕山君(ヨンサングン)がクーデターで1506年に廃位となり、代わって異母弟の中宗(チュンジン)が11代王になった。彼は急に即位したが、それまで国王になるための帝王学を学んでいなかった。何の準備もなく王になってしまった中宗…
  • 朝鮮王朝三大悪女(張緑水、鄭蘭貞、張禧嬪)の哀れな最期とは?

    韓国時代劇によく取り上げられる「朝鮮王朝三大悪女」と言えば、それは張緑水(チャン・ノクス)と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)と張禧嬪(チャン・ヒビン)のことだ。極端な形で歴史に名を残した彼女たちだが、その最期はとても惨めなも…
  • 朝鮮王朝の自らの信念に生きた五大義人

    朝鮮王朝の518年間の歴史の中には、「義人」として有名な5人がいる。それは、黄喜(ファン・ヒ)、金宗瑞(キム・ジョンソ)、金時習(キム・シスプ)、成三問(ソン・サムムン)、郭再祐(クァク・チェウ)である。 最…

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