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  • 張禧嬪が粛宗の心を奪った日々!

    1680年の秋、19代王・粛宗(スクチョン)は女官だった張禧嬪(チャン・ヒビン)の美貌に目を見張った。この年には粛宗の最初の正妻だった仁敬(インギョン)王后が亡くなっているが、粛宗の心はすでに張禧嬪しか見えていなかった。…
  • 「英祖(ヨンジョ)は粛宗の子供ではない」という告発がなぜ起こった?

    20代王の景宗(キョンジョン)は1724年に亡くなり、異母弟が後を継いで21代王・英祖(ヨンジョ)となった。このとき、「英祖が兄を毒殺したのではないか」という噂が出て、国中が大騒動に巻き込まれた。その噂には根拠があった。…
  • わがまま放題の粛宗

    [粛宗(スクチョン)の人物データ] 粛宗の生没年/1661~1720年 粛宗の在位期間/1674~1720年 粛宗の父/18代王・顕宗(ヒョンジョン) 粛宗の母/明聖(ミョンソン)王后 [caption id="att…
  • 張禧嬪の息子が生まれて父の粛宗はどうしたか?

    1688年10月27日、一介の女官から粛宗(スクチョン)の側室になっていた張禧嬪(チャン・ヒビン)が王子を出産した。それが、後の20代王・景宗(キョンジョン)である。粛宗にとっては、27歳になって初めての息子だった。彼の…
  • 粛宗(スクチョン)は一番多くの王妃を抱えた国王だった(後編)

    1701年、仁顕(イニョン)王后が世を去った。長く病に苦しんだ末の死だった。仁顕王后を慕っていた淑嬪(スクピン)・崔氏(チェシ)が、すかさず粛宗(スクチョン)に告発した……それは、張禧嬪(チャン・ヒビン)が仁顕王后を呪い…
  • 粛宗(スクチョン)は一番多くの王妃を抱えた国王だった(中編)

    1689年に廃妃になった仁顕(イニョン)王后は、「私は罪人です」と自らを卑下し、実家の奥の離れで質素に暮らした。その一方で、空いた王妃の座に昇格したのが張禧嬪(チャン・ヒビン)だった。彼女は王宮の中で贅沢三昧に暮らした。…
  • 粛宗(スクチョン)は一番多くの王妃を抱えた国王だった(前編)

    19代王の粛宗(スクチョン)は1661年に生まれた。父は18代王の顕宗(ヒョンジョン)であり、母は明聖(ミョンソン)王后だった。彼は13歳だった1674年に国王となって統治を始めた。 張禧嬪を寵愛 粛宗は朝鮮…
  • トンイが王子を産んだときに粛宗はどれほど喜んだのか(特別版)

    「朝鮮王朝実録」の記述をもとに1690年代の朝鮮王朝を見てみよう。粛宗の王妃だった仁顕(イニョン)王后は1689年に廃妃になったあとに1694年に再び王妃に復帰した。それによって、王妃に昇格していた張禧嬪(チャン・ヒビン…
  • 張禧嬪(チャン・ヒビン)の死罪を押し通した粛宗(スクチョン)!

    韓国時代劇を見ていると、朝鮮王朝の国王が命令を出しても、臣下の者たちが反対して従わないシーンが出てくる。それは史実にのっとっている場合が多く、正史の『朝鮮王朝実録』には、王に対して高官たちが反対意見を述べる場面がよく掲載…
  • 粛宗(スクチョン)はどんな国王だったのか

    『トンイ』ではチ・ジニが演じた粛宗(スクチョン)。ドラマでは人の良い国王として描かれていたが、実際の粛宗は、官僚たちを対立させて消耗させるという戦略家の一面を持っていた。そのおかげで、彼は王権を強化することに成功した。 …

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