カテゴリー:歴史

  • 仏教は朝鮮王朝でどうなったか

    古代の三国時代から朝鮮半島では仏教が根づいていたのに、朝鮮王朝の建国後は迫害を受け続けた。現在の韓国でも仏教寺院が山中に多く存在しているのは、朝鮮王朝時代に次々と市中から追放されたなごりである。そういう意味では、高麗王朝…
  • 英祖と思悼世子はなぜ対立したのか

    1735年に生まれた思悼世子(サドセジャ)は神童と呼ばれた。喜んだ父の英祖(ヨンジョ)は、思悼世子が10歳のときから政治の表舞台にデビューさせた。これがいけなかった。当時の主流派閥は老論派(ノロンパ)だったが、思悼世子は…
  • 恐るべき悪女の金介屎(キム・ゲシ)とは誰か?

    金介屎(キム・ゲシ)は、15代王・光海君(クァンヘグン)を裏で支えていた女性だが、目的のためなら手段を選ばなかった。果たして、どんな悪事を働いたのか。 世子になった光海君 幼いころに王宮に入った金介屎。文書の…
  • 悠久の日韓古代史・第29回「植民地統治の後期」

    思想的に朝鮮民衆を日本に同化させる政策も大々的に進められた。1925年10月15日には、京城(ソウル)に朝鮮神宮が竣工した。祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)と明治天皇だった。 独立運動 朝鮮総督府が朝鮮…
  • 悠久の日韓古代史・第28回「植民地統治の前期」

    1910年に日本の植民地になった後の朝鮮半島はどうなったのか。朝鮮総督府は天皇に直属し、日本の内閣からも独立した存在として朝鮮半島における立法・行政・軍事の権力を一手に握っていた。 土地調査事業 日本の植民地…
  • 悠久の日韓古代史・第27回「日韓併合」

    日本と清は1885年4月に天津条約を結んだ。この条約では、「朝鮮半島から日本と清の両国軍隊が撤退すること」「朝鮮半島に再び兵を出すときは相互通告すること」が取り決められた。その年の夏に、興宣大院君(フンソンデウォングン)…
  • 悠久の日韓古代史・第26回「政変に揺れる朝鮮王朝」

    1863年、朝鮮王朝で26代王の高宗(コジョン)が即位した。彼はまだ11歳だったので、父の興宣大院君(フンソンデウォングン)が執権となって、実際の政治を動かすようになった。 開国を迫る日本 1865年、興宣大…
  • 悠久の日韓古代史・第25回「善隣関係の終焉」

    朝鮮通信使の招聘に消極的だった松平定信が政治の表舞台から去っても、招聘問題は進展しなかった。朝鮮王朝は徳川幕府に不信感を持ち、あえて使節を派遣しようと思わなかった。こうして空白期間は延々と続き、気がついてみれば朝鮮通信使…
  • 悠久の日韓古代史・第24回「途絶えた交流」

    1764年に江戸時代で11回目にあたる朝鮮通信使の来日があったが、以後はまったく途絶えてしまった。そこには一体、どんな事情があったのだろうか。 松平定信の意向 徳川将軍が代わる度に幕府が対馬藩を通して朝鮮通信…
  • 悠久の日韓古代史・第23回「雨森芳洲と申維翰」

    1607年に始まった江戸時代の朝鮮通信使。17世紀には合計で7回も朝鮮通信使が来日している。徳川幕府の創設者の家康と基盤を磐石にした家光。この2人の大物将軍が朝鮮王朝との善隣関係に力を注いだことが17世紀の両国の蜜月につ…

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