カテゴリー:歴史

  • 悠久の日韓古代史・第2話「広開土王の時代」

    『日本書紀』の記述によると、応神天皇の時代に百済(ペクチェ)から来日したのが王仁(わに)と言われている。日本に「論語」と「千字文」を持ち込んだそうで、これをもって、漢字と儒教を日本に伝えたのが王仁と称されている。 …
  • 悠久の日韓古代史・第1話「海を渡る人々」

    古代の日本列島……人の往来はどうなっていたのか。東からは誰も来ない。地球で一番大きな海が人を寄せつけなかった。来るのは、北と南と西からだ。特に、西から来る人が圧倒的に多かった。 古代人の往来 西には大陸の文明が…
  • 王宮はこうなっている6「宗廟」

    宗廟(チョンミョ)は正確に言うと王宮ではありません。しかし、ある意味では王宮以上に重要な場所でした。なぜなら、ここには朝鮮王朝の歴代の王と王妃の位牌が丁重に祀られているからなのです。 [caption id="atta…
  • 王宮はこうなっている5「慶熙宮」

    朝鮮王朝の「五大古宮」の中で一番規模が小さいのが慶熙宮(キョンヒグン)です。五大古宮の中では最も西側に位置しています。ここも、歴史に翻弄されて様々な運命をたどっています。 [caption id="attachment…
  • 王宮はこうなっている4「徳寿宮」

    徳寿宮が誕生する過程には、朝鮮王朝の王位継承に関する逸話がありました。それは、1469年のことです。8代王の睿宗(イェジョン)は即位して1年あまりで亡くなってしまいました。あまりにも突然の死であったため、後継者は決まって…
  • 王宮はこうなっている3「昌慶宮」

    ハングルを自ら創製したことでも知られる4代王の世宗(セジョン)。朝鮮王朝最高の聖君と称されています。彼はもともと3代王・太宗(テジョン)の三男でした。長男をさしおいて自分を王に指名してくれたことを父に感謝していました。 …
  • 王宮はこうなっている2「昌徳宮」

    1400年に朝鮮王朝の3代王となった太宗(テジョン)は、王の威厳を示すために、大きな仕事をしたがりました。その願望をかなえるために1405年に建設したのが、景福宮(キョンボックン)の離宮となった昌徳宮(チャンドックン)で…
  • 王宮はこうなっている1「景福宮」

    1392年、李成桂(イ・ソンゲ/初代王の太祖〔テジョ〕)は朝鮮王朝を建国しました。首都の漢陽(ハニャン)は、現在のソウルです。王朝の拠点となる王宮の建設は、1395年に始まりました。 [caption id="atta…

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