王朝を揺るがせた大事件7「思悼世子の悲劇」

首謀者は身内

老論派によって不利な立場にさせられた荘献。その首謀者は、なんと彼の身内だった。たとえば、荘献の妻である恵嬪(ヘビン)・洪(ホン)氏の叔父である洪麟漢(ホン・イナン)、英祖の二番目の正室の貞純(チョンスン)王后、荘献の妹の和緩(ファワン)などだ。いくら荘献が聡明だったとしても、これだけの身内に陥れられたらひとたまりもない。
しかし、荘献にも落ち度はあった。彼は、側室を殺害するという罪を犯していたし、妓生(キーセン)と放蕩を繰り返していた。
老論派は官吏の1人をそそのかして、荘献が謀叛を企てていると訴えさせた。それを聞いて激怒した英祖は、自分の息子に自決を命じた。
自決を命じられた荘献は、父親である英祖に泣いて許しを請い続けた。しかし、まったく許してもらえず、息子がなかなか自決しないことに痺れを切らした英祖によって、米びつに閉じ込められてしまう。荘献の息子の祘(サン)が、英祖に「父上を助けてください」と懇願するも、それは叶わなかった。




荘献は閉じ込められている間、水も食べ物もまったく与えられなかった。その米びつのフタが開けられたのは、彼か閉じ込められてから8日目のことで、中では荘献が餓死していた。それまでまったく開けられなかったので、荘献がいつ亡くなったのかは定かではない。
その後、荘献は英祖から「思悼世子(サドセジャ)」という尊号を贈られる。その尊号には「世子(セジャ)の死を追悼する」という意味がある。
王の後継者という立場でありながら、そのような悲劇に見舞われた荘献。彼は、餓死するまでの間、米びつの中でどんなことを思っていたのだろうか……。

文=康 大地(コウ ダイチ)

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