新羅(シルラ)で、女性として初めて王となった善徳(ソンドク)女王。彼女の父親は、26代の真平王(チンピョンワン)だ。その真平王に息子がいなかったこともあって、善徳女王が即位したのだが、彼女はいったいどんな女性だったのだろうか。
唐の冷たい対応
新羅の27代王として即位した善徳女王。大きな功績を残しており、国民たちから絶大な人気を誇る女王だった。
三国時代の一大勢力として、新羅は高句麗や百済と激しい争いを繰り返していた。高句麗や百済より優位に立とうと考えていた善徳女王は、中国大陸の大国である唐と友好関係を築こうとした。しかし、唐の対応は「女性が王になっているから周りの国から馬鹿にされるのだ、こちらの王族を送るからその者を王にしたらどうか」という冷たいものだった。
善徳女王は、その申し出を受け入れず、新羅の人材を生かして戦うことを決めて、金庾信(キム・ユシン)という若者を大将軍に任命した。それが644年である。金庾信は見事に女王の期待に応えて、新羅の軍事力を飛躍的に向上させた。
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