階伯(ケベク)の壮絶な最期!/古代の英雄4

語り継ぐべき物語

階伯の相手は5万人。数のうえでは最初から相手にならなかった。
しかし、階伯は全軍を鼓舞した。
「その昔、越の王は5千人の兵で呉の70万人の大軍に勝ったのだ。我が軍の数がいかに少ないとはいえ、死ぬ気で戦えば、かならず敵を打ち負かすことができるぞ」
この檄を聞いた百済軍は士気が上がり、勇猛果敢に新羅軍に挑んでいった。地の利があり、階伯の戦略も巧みだった。
局地的な戦いで百済軍は四度も勝利をあげた。まさに、越が呉に勝った故事を再現するかのような勢いだった。
しかし、長期戦になると10倍の兵力差を逆転するのは無理だった。
最後まで国の存続に執念を燃やした階伯だったが、陣頭指揮の最中に戦死した。百済軍は総崩れとなり、都の扶余も陥落した。
扶余は燃やし尽くされて廃墟となり、義慈王を初め1万数千人の百済人が捕虜として唐に連れていかれた。




国が滅ぶとは、そういうことなのだ。
わずかばかりの救いは、歴史が階伯をほめ讃えたことだ。彼のような忠臣がいたことによって、百済にも語り継ぐべき物語ができたのである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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