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知りたい朝鮮王朝2/芳遠が3代王の太宗となる
高麗王朝の最高実力者になった李成桂(イ・ソンゲ)は王を追放し、自分の都合のいいように動く恭譲王(コンヤンワン)を王位につけた。しかし、黒幕でいることよりも自ら王になりたいと思い、1392年に即位した。初代王の太祖(テジョ… -
武力で王の座を勝ち取った3代王・太宗/朝鮮王朝の人物と歴史9
父親である李成桂(イ・ソンゲ/初代王・太祖【テジョ】)の時代に起こった後継者をめぐる骨肉の争い。それを勝ち抜いて3代王となった太宗(テジョン)。彼は、在位中にどのような政策を行なったのか……。 王の座を勝ち取… -
朝鮮王朝が長寿となる基盤を作った太宗/歴史を面白く読む17
父親である李成桂(イ・ソンゲ/初代王・太祖【テジョ】)の時代に起こった後継者をめぐる骨肉の争い。それを勝ち抜いて3代王となった太宗(テジョン)。彼は、在位中にどのような政策を行なったのか……。 王の座を勝ち取… -
太宗の時代/康熙奉の朝鮮王朝人物史3
鄭道伝(チョン・ドジョン)を殺した芳遠(バンウォン)は、王宮に行って病床にいた李成桂(イ・ソンゲ)に会い、自分を後継者として認めさせました。ここからが芳遠の賢いところなのですが、彼は五男の自分がいきなり王になると波風が立… -
イ・バンウォン(李芳遠)は実力で3代王・太宗になった!
李芳遠(イ・バンウォン)は、朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)の五男だった。もともと、李成桂には13人の子供がいたが、そのうち男子は8人だった。最初の夫人は神懿(シンイ)王后。李成桂が出世する前から夫を支え続けたが、… -
鄭道伝が太宗に殺された「王子の乱」
朝鮮王朝を開国した初代王・太祖(テジョ=李成桂/イ・ソンゲ)。その陰には太祖をあらゆる面で支える男がいた。それが鄭道伝(チョン・ドジョン)だ。しかし、王位継承をめぐる争いの中で、鄭道伝の命運は尽きてしまう。 … -
最強の親子!イ・バンウォン(太宗)と世宗
世宗(セジョン)が1397年に生まれたとき、父親の太宗(テジョン)は波乱の中にいた。彼は世子(セジャ)の指名からはずれてしまったが、異母弟の芳碩(パンソク)を排除して自分が正当な王位継承者であることを力で見せつけようとし… -
李芳遠は太宗になって何をしたのか?
朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)は初代王の太祖(テジョ)となったが、彼は神懿(シヌィ)王后との間に6男2女をもうけている。男子は上から、芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳毅(バンイ)、芳幹(バンガン)、芳遠(バン… -
朝鮮王朝が長寿王朝になったのは太宗のおかげ!
[太宗(テジョン)の人物データ] 生没年/1367~1422年 在位期間/1400~1418年 父/初代王・太祖(テジョ〔生没年:1335~1408年〕) 母/神懿(シヌィ)王后(生没年:1337~1391年) 息子/4… -
王朝を揺るがせた大事件11「太宗の剛腕」
朝鮮王朝3代王・太宗(テジョン)は、初代王・太祖(テジョ)の五男として生まれたが、後継者に指名されなかったことで「第一次王子の乱」を起こした。その後、彼はどんな行動を取ったのか。 [caption id="attach…