タグ:中宗
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1506年、燕山君(ヨンサングン)の悪政を終わらせるためにクーデターが起きた。「朝鮮王朝実録」の1506年9月2日の項には、当時のことがどのように記されているか。具体的に見てみよう。
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端敬(タンギョン)王后はどんな女性だったのか。
生没年/1487~1557年
夫/11代王・中宗(チュンジョン)と1499年に結婚した
子供/いなかった
父親/慎守勤(シン・スグン)は燕山君(ヨンサングン)の側近
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朝鮮王朝時代、科挙の中にある“医科”に合格した人物が医師になった。その中でも優秀な人材が王の主治医になったが、それは大変な名誉と責任があった。一方、医女は医師とはなりたちが違った。
医女が生まれた理由
医女が…
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『宮廷女官 チャングムの誓い』は、朝鮮王朝の11代王・中宗(チュンジョン)の統治時代に医女として活躍したチャングム(長今)が主人公になっていた。このチャングムは、中宗の最期まで診察と看病を続けていた。
中宗の…
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韓国にもさまざまな伝説が残されている。その中でも、朝鮮王朝時代から今も語り継がれる美しい伝説がある。それは、政略的に廃妃(ペビ)にされた妻が、夫である王に捧げた愛だ。その名も「チマ岩の伝説」と呼ばれている。
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朝鮮王朝の11代王だった中宗(チュンジョン)は1488年に生まれた。父は9代王・成宗(ソンジョン)で、母は貞顕(チョンヒョン)王后だった。中宗は『宮廷女官 チャングムの誓い』でもおなじみの国王である。
赤いチ…
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[中宗(チュンジョン)の人物データ]
中宗の生没年/1488~1544年
中宗の在位期間/1506~1544年
中宗の父/9代王・成宗(ソンジョン)
中宗の母/貞顕(チョンヒョン)王后
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中宗(チュンジョン)は燕山君(ヨンサングン)の異母弟で、実母に溺愛されて幸せに育った。一方の燕山君は実母が廃妃のうえに死罪になっており、孤独の中で育った。「同じ成宗(ソンジョン)の息子なのに、なぜこれほど境遇が違うのか」…
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燕山君(ヨンサングン)がクーデターで1506年に廃位となり、代わって異母弟の中宗(チュンジン)が11代王になった。彼は急に即位したが、それまで国王になるための帝王学を学んでいなかった。何の準備もなく王になってしまった中宗…
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11代王の中宗(チュンジョン)の治世は38年に及んだ。歴代27人の王の中で五番目に長い在位だった。しかし、晩年は病気がちで床に臥(ふ)せっているときが多かった。そんな中宗を献身的に看病したのが長男の世子(セジャ/王の後継…
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