タグ:光海君
-
光海君(クァンヘグン)は1623年にクーデターで廃位となりましたので、暴君というイメージが付いてまわりました。しかし、歴史研究が進む中で、暴君どころか逆に政治的な業績が多い王であったという評価が出ています。
…
-
[光海君(クァンヘグン)の人物データ]
光海君の生没年/1575~1641年
光海君の在位期間/1608~1623年
光海君の父/14代王・宣祖(ソンジョ)
光海君の母/恭嬪(コンビン)・金(キム)氏
兄弟による後継…
-
光海君は1608年に15代王として即位したが、翌年に兄の臨海君(イメグン)を不穏分子として配流の末に殺し、1614年には異母弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)の命も奪った。さらに、永昌大君の母の仁穆(インモク)王后も大妃の…
-
光海君(クァンヘグン)は1623年にクーデターで廃位となりましたので、暴君というイメージが付いてまわりました。しかし、歴史研究が進む中で、暴君どころか逆に政治的な業績が多い王であったという評価が出ています。
…
-
仁穆(インモク)王后は14代王・宣祖(ソンジョ)の二番目の正室である。宣祖と側室の間に生まれた光海君(クァンヘグン)にすれば継母にあたる人だ。それなのに、光海君と仁穆王后はなぜ激しく対立したのだろうか。
世子の決定
…
-
1608年に王位に就いた光海君(クァンヘグン)は、兄や弟の命を奪っています。王位を安定させるためとはいえ、この行ないは多くの怨みを買いました。結局、光海君は1623年に廃位となりましたが、彼が熱心に進めていた政策で善政と…
-
自分より8歳も若い女性が母となったら、どんなふうに接したらいいのだろうか。そんな難題が生じて、光海君(クァンヘグン)の正室の柳氏(ユシ)はほとほと困惑してしまった。きっかけは、14代王・宣祖(ソンジョ)の再婚だった。
…
-
14代王・宣祖(ソンジョ)は朝鮮王朝で初めて、国王の正室ではなく側室から生まれて即位した人物だ。それだけに、自分はなんとしても正室から生まれた息子に王位を継がせたかった。しかし、それが難しかった。やむなく、側室が産んだ王…
-
本当に暴君?
朝鮮半島の南海に浮かぶ孤島の済州島(チェジュド)は、朝鮮王朝時代に流刑地として知られた。
ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』でも、濡れ衣を着せられて済州島に流されたチャングムが、そこで医療を学んで再起を…
-
朝鮮王朝27人の王の中で暴君と称される10代王・燕山君(ヨンサングン)と、15代王・光海君(クァンヘグン)。しかし、近年では光海君の業績を見直そうとする動きがある。果たして、光海君は暴君なのか。それとも名君なのか。歴史を…
ページ上部へ戻る
Copyright © チャレソ All rights reserved.