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復讐の鬼と化した仁穆王后/歴史を面白く読む12
仁穆(インモク)王后は、14代王・宣祖(ソンジョ)の二番目の正室となった女性だ。しかし、彼女の人生はかなり辛いものだったと言える。いったい彼女に訪れた不幸とはどんなのものなのか。 綾陽君が起こしたクーデター … -
仁穆王后の怒り/康熙奉の朝鮮王朝人物史16
1623年、クーデターが起きます。リーダーになったのは綾陽君(ヌンヤングン)という28歳の若者で、宣祖(ソンジョ)の孫にあたります。自分の弟が光海君(クァンヘグン)の側近によって殺された怨みもあり、同じく光海君に怨みを持… -
光海君の斬首を執拗に主張した仁穆王后!
1623年3月13日の明け方、綾陽君(ヌンヤングン/後の仁祖〔インジョ〕)に統率されたクーデター軍は、内通者の協力を得て王宮内に入り込み、重要な拠点を次々と占拠した。虚をつかれた光海君は、無駄な抵抗をせずに王宮を抜け出し… -
仁穆王后は仁祖に光海君の斬首を主張!
1623年3月13日の明け方、綾陽君(ヌンヤングン/後の仁祖〔インジョ〕)の統率のもとで兵力を整えたクーデター軍は、内通者の協力を得て王宮内に入り込み、重要な拠点を次々に占拠した。虚をつかれた光海君は脱兎のごとく王宮を抜… -
仁穆(インモク)王后の悲願は光海君(クァンヘグン)の斬首だった!
仁穆(インモク)王后は光海君(クァンヘグン)にとって継母にあたる女性だった。しかし、2人の関係は後に険悪となった。王位を安定させるために、光海君が仁穆王后の最愛の息子の命を奪ったからだ。 用意周到なクーデター… -
仁穆(インモク)王后は光海君(クァンヘグン)の斬首に執着した!
光海君は1608年に15代王として即位したが、翌年に兄の臨海君(イメグン)を不穏分子として配流の末に殺し、1614年には異母弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)の命も奪った。さらに、永昌大君の母の仁穆(インモク)王后も大妃の… -
光海君(クァンヘグン)と仁穆(インモク)王后の激しい対立の理由は?
仁穆(インモク)王后は14代王・宣祖(ソンジョ)の二番目の正室である。宣祖と側室の間に生まれた光海君(クァンヘグン)にすれば継母にあたる人だ。それなのに、光海君と仁穆王后はなぜ激しく対立したのだろうか。 世子の決定 …