タグ:歴史

  • 叔父に王位を奪われた端宗の悲劇/康熙奉の王朝快談4

    6代王の端宗(タンジョン)の祖父は4代王の世宗(セジョン)で、父が5代王・文宗(ムンジョン)である。ともに学識にすぐれていた王として有名だ。その血を受け継いで、端宗も文治主義の王政を行なうのに十分な素養を持っていた。 …
  • 朝鮮王朝時代の仏教は迫害されても残った!/康熙奉の王朝快談3

    古代の三国時代から朝鮮半島では仏教が根づいていたのに、朝鮮王朝の建国後は迫害を受け続けた。現在の韓国でも仏教寺院が山中に多く存在しているのは、朝鮮王朝時代に次々と市中から追放されたなごりである。 仏教から儒教…
  • 朝鮮王朝の人格に優れた5人の王妃は誰か(歴史編)

    朝鮮王朝には42人の王妃がいたが、中でも慈愛に包まれた人格者の王妃が5人いた。その5人とは、顕徳王后(ヒョンドクワンフ)、孝懿王后(ヒョウィワンフ)、端敬王后(タンギョンワンフ)、昭憲王后(ソホンワンフ)、仁顕王后(イニ…
  • 3代王の太宗は何をしたのか/康熙奉の王朝快談2

    高麗王朝は一夫多妻制だった。王朝を創設した王建(ワン・ゴン)がそもそも、地方の豪族を味方に引き入れるために戦略結婚を何度も繰り返した経歴を持っていた。出世した文官や武官は、故郷に住む本妻の他に、都に別の若い妻を住まわせる…
  • 朝鮮王朝3大悪女よりワルだった女性は誰か/康熙奉の王朝快談1

    一般的に“朝鮮王朝3大悪女”と言われているのは、張緑水(チャン・ノクス)、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)、張禧嬪(チャン・ヒビン)の3人である。順に見ていくと、張緑水は10代王・燕山君(ヨンサングン)の側室として暴君に悪行…
  • 中宗は結局は「代理の王」だったのか(歴史編)

    燕山君(ヨンサングン)がクーデターで1506年に廃位となり、代わって異母弟の中宗(チュンジン)が11代王になった。彼は急に即位したが、それまで国王になるための帝王学を学んでいなかった。何の準備もなく王になってしまった中宗…
  • 文定王后はどれほど仁宗に冷たかったのか

    12代王の仁宗(インジョン)は1545年6月28日に深刻な病状に陥った。診察した侍医は「臓腑(五臓六腑)に損傷ができ、それが病気の元になっていると思われます」と診断結果を述べた。 仁宗の病状 内臓の損傷という…
  • 仁宗が重病のときに文定王后は何かしたのか(後編)

    仁宗(インジョン)が重病に陥ったとき、継母の文定(ムンジョン)王后は、他家に嫁いだ娘の家に行きたいと言って重臣たちを混乱させた。とにかく、反対意見がとても多かった。 文定王后の狙いとは? 重臣の一人が文定王后…
  • 仁宗が重病のときに文定王后は何かしたのか(前編)

    文定(ムンジョン)王后は仁宗(インジョン)を毒殺した疑いがきわめて高い。朝鮮王朝の歴代王には「毒殺されたのではないか」という疑惑がかなりあるが、それらは噂にすぎないものも多い。しかし、仁宗の毒殺説だけは信憑(しんぴょう)…
  • 中宗の息子の仁宗は父の看病で体調を悪化させた!

    11代王の中宗(チュンジョン)の治世は38年に及んだ。歴代27人の王の中で五番目に長い在位だった。しかし、晩年は病気がちで床に臥(ふ)せっているときが多かった。そんな中宗を献身的に看病したのが長男の世子(セジャ/王の後継…

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