古代の三国時代から朝鮮半島では仏教が根づいていたのに、朝鮮王朝の建国後は迫害を受け続けた。現在の韓国でも仏教寺院が山中に多く存在しているのは、朝鮮王朝時代に次々と市中から追放されたなごりである。
仏教から儒教へ
高麗王朝を建国した王建(ワン・ゴン)は、遺訓の中で「仏教を手厚く保護すること」を強調していた。それによって、高麗の歴代王は王建の教えをしっかり守って仏教を優遇した。
しかし、広大な私有財産を所有した仏教寺院は権力を持ち、なにかというと政治に介入して国政の混乱を招いた。また、僧侶たちの腐敗も顕著になって庶民の信頼を失ってしまった。
その反省から、1392年に建国された朝鮮王朝は、国教を仏教から儒教に変えた。
そもそも王宮の景福宮(キョンボックン)を建設するときも、その正門の位置を南向きにするか東向きにするか議論が分かれたが、初代王・太祖(テジョ)は仏僧が主張した“東向き”を採用せず、儒学者が勧めた“南向き”に決めた。これが、人々に仏教の時代が去ったことを実感させた。
以後、朝鮮王朝では仏教に対する迫害が年を追うごとに厳しくなり、僧侶たちは市中をまともに歩けないほどであった。
国教が仏教から儒教に変わった影響は大きかった。特に、食生活が変化した。仏教は殺生を禁じているので、そのまま仏教が重視されていれば朝鮮王朝時代に食肉の習慣があれほど根づくことはなかっただろう。
“韓国料理は焼肉”というイメージが強いが、それは朝鮮王朝時代に仏教が衰退したことと決して無縁ではないのである。
ただし、表向きはそれほどに仏教を取り締まっていながら、王族の中には仏教を信奉している人が意外と多かった。
韓国時代劇を見ていると、高貴なお方が願いごとをするために山中の仏教寺院を訪ねる場面がしばしば出てくる。政治的に迫害されていても、仏教を信じる人が実は多く、ここ一番の大事なときにはお寺を詣でる風習は続いていた。
それは現在の韓国でも同様で、特に毎年11月の大学修学能力試験(全国一律に行なわれる大学入学試験)のときには、我が子のために仏教寺院で熱心にお祈りする大勢の母親の姿が見られる。一心不乱に祈る姿が象徴しているのは、韓国の仏教はここ一番では今も非常に頼りにされているということだ。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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