「朝鮮王朝実録」はどこまで真実に近いのか/康熙奉の王朝快談5

朝鮮王朝の歴代王の言動を詳しく記した正史の「朝鮮王朝実録」。原文は漢文で、現代の韓国人も読めるようにハングルに翻訳されているが、そのハングル版を毎日100ページずつ読んでも、すべてを読破するのに4年半の歳月がかかると言われている。





鄭道伝の最期

建前で言うと、「朝鮮王朝実録」はときの王でさえも記述に介入できなかったとされているが、実際には内容が特定の人物の利益に偏っている場合が少なくない。
結局は、対象となった王の支援者がどれだけ執筆に関わっているかで内容もかなり左右されていたと言える。正史とはいえ、どこまで客観的に書かれているか疑問なのだ。
たとえば、7代王・世祖(セジョ)に関する項目では、彼が1453年にクーデターを起こしたときの密談のやりとりまで「朝鮮王朝実録」に記されている。「まるで世祖が自ら書いているのかも」と思えてしまうほどだ。内容も世祖に非常に好意的であり、彼が甥から王座を奪った出来事も正当化されている。
かくのごとく、歴史を「客観的に」「中立に」記録するのは難しいのである。
朝鮮王朝建国時の最高の功臣と言われた鄭道伝(チョン・ドジョン)の最期に関しても、「朝鮮王朝実録」の記述を素直には受け取れない。
そもそも、初代王・太祖(テジョ)の後継者の座をめぐって異母兄弟の間で骨肉の争いが起こったとき、鄭道伝は太祖の8男に味方した。




結局は5男が勝ち抜いて3代王・太宗(テジョン)になるのだが、「朝鮮王朝実録」の記述はいかにも太宗の意向に沿う形になっているようで、政敵だった鄭道伝は情けない男にされてしまっている。
なにしろ、さんざん逃げまくったあげくにとらえられた鄭道伝は、みじめなほど取り乱して「殺さないでください」と哀願し続けたと言う。そこでは、情けなく命乞いする姿が強調されている。つまり、朝鮮王朝の基盤づくりに貢献した高潔な人物が見苦しい姿をさらし続けたというのが「朝鮮王朝実録」の言い分だ。
この記述に疑問を持つ人は意外と多いようで、たとえば朝鮮王朝時代初期の出来事を扱ったドラマ『龍の涙』では、鄭道伝の最期が「朝鮮王朝実録」とまったく違う形で描かれている。
敵の軍勢に囲まれた彼は潔く出てきて、「今後協力してくれるなら命を助ける」と助命をほのめかされても、それを拒否して堂々と死んでいった。その場面に「鄭道伝ほど朝鮮王朝に貢献した人物はいなかった」というナレーションが重なる。まさに、鄭道伝の名誉を最後まで守る描き方だった。




真実はどうであったのかが今ではわからないが、多くの人は『龍の涙』の描き方に納得しているのではないか。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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