カテゴリー:朝鮮王朝通史
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朝鮮王朝は1392年に始まってから、王の後継者をめぐって骨肉の争いがあったとはいえ、対外的に平和な日々を過ごしていました。1592年といえば、創設から200周年で記念すべき年だったのですが、お祭り気分は吹っ飛んで存亡の危…
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11代王の中宗(チュンジョン)と文宗(ムンジョン)王后との間には、1532年に息子が生まれます。この息子を文定王后は溺愛しましたが、中宗にはすでに二番目の正室だった章敬(チャンギョン)王后との間に生まれた長男がいて、この…
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燕山君(ヨンサングン)を廃位にするためのクーデターで中心的な役割を担ったのが朴元宗(パク・ウォンジョン)という高官でした。彼には、燕山君に仕返しをしなければならない怨みがありました。
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廃妃になった斉献(チェホン)王后は、実家で質素に暮らしていました。王宮で自分が仕出かしたことを反省する気持ちも日増しに強くなりました。9代王の成宗(ソンジョン)も、王宮を追放された斉献王后のことが気になっていました。
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端宗(タンジョン)の復位を狙って世祖(セジョ)の暗殺を狙った6人は、「死六臣」と呼ばれて庶民から大きな尊敬を集めます。忠義に殉じた高潔な志士というわけです。世祖からすると、端宗がこのまま生きていると死六臣のような事件がま…
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朝鮮王朝を揺るがす大事件が起こったのは1453年10月10日でした。この日、首陽大君(スヤンデグン)が金宗瑞(キム・ジョンソ)の屋敷を急に訪問し、隙をついて金宗瑞を襲って排除しました。
政権が一夜で転覆
首陽大君は端…
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1398年に2代王の定宗(チョンジョン)が即位しました。しかし、後ろで糸を引いていたのは、弟の芳遠(バンウォン)です。彼は間違いなく、誕生したばかりの朝鮮王朝の最大の実力者でした。
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朝鮮王朝は1392年に建国されました。初代王・太祖(テジョ)となったのが李成桂(イ・ソンゲ)です。彼は、高麗王朝の武将でしたが、最高実力者となって高麗王を追放して自ら新しい王朝を開きました。
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