カテゴリー:国王
-
正祖は今の韓国でも“朝鮮王朝後期の名君”として揺るぎない評価を得ている。確かに、彼が残した業績は多い。党争に明け暮れる政権を立て直し、停滞していた国政を一変させて様々な改革を成し遂げた。こうした業績が正祖の名声を高めてい…
-
朝鮮王朝の王は、唯一無二の絶対権力者であった。どれだけの力があったのか。現代的な感覚でいうと、総理大臣、外務大臣、財務大臣、警察庁長官、最高裁長官を兼ねるほどの存在だった。
仕事は1万種類
朝鮮王朝の王は自ら政治と経…
-
朝鮮王朝時代の名君と言えば、なんといっても、ハングルを作った4代王・世宗(セジョン)があまりに有名だ。今でも韓国の小学校に行けば世宗の銅像がよくあるし、1万ウォン紙幣の肖像画になっている。この世宗に名声では及ばないが、匹…
-
ドラマ『イ・サン』では正祖(チョンジョ)の名君ぶりがたっぷりと描かれたが、その正祖を補佐して活躍したのが洪国栄(ホン・グギョン)だった。しかし、2人は最後に悲劇的な結末を迎えてしまうのだが……。
王に次ぐ最高実力者
…
-
時代劇『イ・サン』の始まりでは、英祖(ヨンジョ)の息子の思悼世子(サドセジャ)が米びつに閉じ込められている場面が描かれていた。思悼世子の息子のイ・サン(当時10歳で後の22代王・正祖〔チョンジョ〕)は、米びつに近づいては…
-
後世において名君と称された21代王の英祖(ヨンジョ)。彼がそこまで評価されたのは、母である淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の影響が大きい。彼女はドラマ『トンイ』の主人公のモデルだった女性だ。
庶民のための統治
…
-
「朝鮮王朝実録」の記述をもとに1690年代の朝鮮王朝を見てみよう。粛宗の王妃だった仁顕(イニョン)王后は1689年に廃妃になったあとに1694年に再び王妃に復帰した。それによって、王妃に昇格していた張禧嬪(チャン・ヒビン…
-
それは1800年6月のことだった。正祖(チョンジョ)は急な発熱で体調を崩した。からだに大きな腫れ物もできた。その痛みに苦しみながら、彼は薬を調合する現場を自ら視察している。毒殺されることを極度に警戒していたからだ。
…
-
12代王・仁宗(インジョン)の後を継いで、13代王として即位した明宗(ミョンジョン)。彼は、自分が思うような政治ができなかったのだが、果たしてどんな人生を歩んだのだろうか。
世子の命を狙った文定王后
明宗は、父親が1…
-
朝鮮王朝には27人の国王がいたが、その中の5人は、在位中に王位を奪われている。それは、定宗(チョンジョン)、端宗(タンジョン)、燕山君(ヨンサングン)、光海君(クァンヘグン)、高宗(コジョン)である。
5人の…
ページ上部へ戻る
Copyright © チャレソ All rights reserved.