英祖(ヨンジョ)はトンイから庶民感覚を教え込まれた!(特別版)

後世において名君と称された21代王の英祖(ヨンジョ)。彼がそこまで評価されたのは、母である淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の影響が大きい。彼女はドラマ『トンイ』の主人公のモデルだった女性だ。





庶民のための統治

粛宗(スクチョン)の側室になる前の淑嬪・崔氏は、宮廷内の下働きだった。
そのため淑嬪・崔氏は、幼い頃から英祖には、庶民の気持ちがわかる人間になるように教育した。
英祖はこうした理由から、不正官僚に対して厳しく対処し、それまでの王以上に庶民を思う気持ちが強かった。
その表れが徴税負担の軽減だった。
そのうえで、英祖は自身の生活でも質素倹約につとめた。
また、罪人の人権を認め、過酷な刑罰を廃止し、不当な判決が起これば王に直訴できる制度を整えた。
それだけではない。
英祖は粛宗時代から続く党派争いを解消するために全力を注いだ。結局、各派閥からバランスよく人材を登用する政策を実施した。




英祖が即位して4年がたつと、景宗の死で政治的基盤を脅かされた景宗派が大規模なクーデターを起こした。
彼らは「景宗の死は英祖派の人間が毒をもったからだ」と主張し、各地にいる景宗派の人間に決起を呼びかけた。
「毒殺された殿下の恨みを晴らし、正統な王をたてるべきだ」
こうして景宗派の謀反計画は始まった。
1727年、彼らは「景宗は毒殺された」「英祖は粛宗の本当の息子ではない」という文書を全国に流し、それを根拠として志願兵を募った。
こうした計略はすぐに見破られ、英祖は謀反加担者の捜索を始めた。
焦りを感じた景宗派は、1728年に先手を打って挙兵し、政府への攻撃を開始した。その中心に立った人物が李麟佐(イ・インジャ)だ。
彼は自らを大元帥と名乗り、棺桶の中に武器を隠しながら、英祖派の主要人物を立て続けに殺し、重要な城を占拠した。
勢いに乗った李麟佐は、各地へ檄文を飛ばし、民心を動揺させた。
「不正な手段で王になった英祖を認められない者は、私と共に戦おう!」
(ページ2に続く)

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