朝鮮王朝には27人の国王がいたが、その中の5人は、在位中に王位を奪われている。それは、定宗(チョンジョン)、端宗(タンジョン)、燕山君(ヨンサングン)、光海君(クァンヘグン)、高宗(コジョン)である。
5人の国王
◆定宗(チョンジョン)
〔1357~1419年〕
2代王。在位は1398~1400年。李成桂(イ・ソンゲ)の二男・芳果(バングァ)のことであり、父の王位を継いだが、実権は弟の芳遠(バンウォン)に握られて、独自の王政をできなかった。1400年に退位させられて、以後はひっそりと暮らした。
◆端宗(タンジョン)
〔1441~1457年〕
6代王。在位は1452~1455年。5代王・文宗(ムンジョン)の長男として、わずか11歳で王となる。1455年、叔父の世祖(セジョ)に脅(おど)かされる形で王位を譲り、上王となるも権限はなかった。復位の動きを警戒した世祖によって端宗は死罪となった。
◆燕山君(ヨンサングン)
〔1476~1506年〕
10代王。在位は1494~1506年。9代王・成宗(ソンジョン)の長男として生まれた。元来が粗暴な性格で、王朝最悪の暴君と言われた。1506年にクーデターによって王位を追われ、同年に流配先の江華島(カンファド)で世を去った。
◆光海君(クァンヘグン)
〔1575~1641年〕
15代王。在位は1608~1623年。14代王・宣祖(ソンジョ)の二男で、即位と同時に血の粛清に乗り出した。兄の臨海君(イメグン)を自決させ、異母弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)を殺した。政治的業績は多かったと言われるが、身内を殺害した非道を問われて、1623年にクーデターで王位を追われた。最後は済州島(チェジュド)に流されて66歳で世を去った。
◆高宗(コジョン)
〔1852~1919年〕
26代王。在位は1863~1907年。日本が朝鮮半島を植民地にしようとしていた1907年、オランダのハーグで開かれた万国平和会議に「日本の不当な干渉を訴える密使」を派遣したが、告発に失敗。日本の強い圧力によって強制的に退位させられた。
弟の力を恐れた2代王・定宗(チョンジョン)/朝鮮王朝国王列伝2