奇皇后とは誰なのか/高麗時代の人物と歴史4

不本意な形で元に渡った奇皇后だが、その美貌を武器にして大出世を果たしていく。その影響力は母国の高麗王朝にも大きく及ぶほどだった。果たして、奇皇后とは、どんな女性だったのか。





元に渡った奇皇后

13世紀から14世紀にかけて、高麗王朝は中国大陸を支配した元に服従せざるをえなかった。元は多くの貢ぎ物を高麗王朝に要求した。その1つが、「貢女(コンニョ)」だった。多くの女性を差し出せということだ。
困った高麗王朝は、貢女を出す家には十分な報酬を出すことにした。それでも応じる人はおらず、仕方なく、罪人や奴婢の妻や娘たちを強制的に集めた。それは、本当に悲しい歴史だった。
そんな中で特殊な例だったのが奇皇后だ。彼女は、下級官僚の奇子敖(キ・ジャオ)の娘で、大変な美人だった。
その奇皇后が元に渡ったのは1333年と推定される。彼女の美貌を利用しようとしたのが、高麗出身の宦官(かんがん)だった高龍普(コ・ヨンボ)だ。奇皇后を皇室付きの女性として推薦することで、立場を強くしようと考えたのだ。
事実、12代皇帝トゴン・テムルは奇皇后に惚れ込み、すぐに彼女を側室にした。




嫉妬したのが、トゴン・テムルの正室のタナシルリだ。
彼女は奇皇后に敵意を抱いた。
タナシルリは元の重臣のエル・テムルの娘だった。それで正室になれたのだが、トゴン・テムルとエル・テムルが厳しく対立するようになると、タナシルリの立場も危うくなっていった。
ストレスが強くなったタナシルリは、奇皇后を執拗にいじめた。鞭で叩いたり、熱した焼きごてを肌にあてたり……。
奇皇后は必死に耐えた。彼女がようやく解放されたのは、エル・テムルが急死した直後だった。後ろ楯を失ったタナシルリは、宮殿を追放されて命を落とした。自業自得という面が強かった。
(ページ2に続く)

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