王朝を揺るがせた大事件15「老論派を厳しく処罰した正祖」

21代王・英祖(ヨンジョ)が歴代王最高齢の82歳で崩御すると、孫のイ・サンが22代王・正祖(チョンジョ)として即位した。その即位は、父の思悼世子(サドセジャ)を死に追いやった政敵の老論派(ノロンパ)との闘いの始まりを意味していた。





大規模な粛清

1776年、即位した正祖が王として最初に放った言葉は、老論派の重臣たちを震え上がらせた。
「寡人(余)は、思悼世子の息子である!」
即位式はドラマ『イ・サン』でも再現されている。同作はフィクションの部分も多いが、この場面は史実通りに構成されている。名君として名高い正祖の誕生は、創作の必要がないほどドラマチックだったのだ。
正祖は、父である思悼世子が亡くなると、罪人の子が王の後継者にはなれないということで、早世していた伯父の孝章世子(ヒョジャンセジャ)の養子になっていた。
にもかかわらず、「思悼世子の息子」と宣言したのは、父を死に追いやった老論派を許さないという決意表明でもあった。
正祖は宣言どおり、老論派への大規模な粛清を開始する。
最初のターゲットとなったのが洪麟漢(ホン・イナン)だった。彼は母の叔父で、むやみに処罰することは難しかったが、それでも正祖は洪麟漢を流罪にしたあとで死罪にしている。




次に処罰を与えたのは、思悼世子の実の妹であり、正祖の叔母にあたる和緩(ファワン)だった。彼女は仲が悪かったという理由だけで兄の謀殺に手を貸し、子供時代の正祖を何度も追放しようとした。
正祖は和緩を厳しく処罰したかったが、叔母である点も考慮しなければならなかった。その結果、王族から平民に降格させるに留めた。
老論派の粛清を進めた正祖だが、身内への処罰だけは難儀した。中でも母の父、洪凰漢(ホン・ボンハン)と、英祖(ヨンジョ)の正室・貞純王后(チョンスンワンフ)の扱いには苦悩した。
洪凰漢は老論派の重鎮で、父の死に深く関与しているのは明白。確実に処罰したい人物でもあった。
しかし、正祖の母が、実の父を殺そうとする息子を止めたため、結局、穏便に済ませるしかなかった。
(ページ2に続く)

王朝を揺るがせた大事件1「燕山君の悪行」

王朝を揺るがせた大事件2「世祖の非道」

王朝を揺るがせた大事件3「仁粋大妃の脅迫」

王朝を揺るがせた大事件14「癸酉靖難」

王朝を揺るがせた大事件16「正祖暗殺未遂事件」



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