カテゴリー:王妃

  • 朝鮮王朝の人格に優れた5人の王妃は誰か

    朝鮮王朝には42人の王妃がいたが、中でも慈愛に包まれた人格者の王妃が5人いた。その5人とは、顕徳王后(ヒョンドクワンフ)、孝懿王后(ヒョウィワンフ)、端敬王后(タンギョンワンフ)、昭憲王后(ソホンワンフ)、仁顕王后(イニ…
  • 42人の王妃の中で一番多かった名字のベスト3は?

    歴代王27人の妻となった王妃42人の姓を調べてみますと、一番多いのが「金(キム)」の10人でした。「金」は昔も今も朝鮮半島の人口の20%以上を占める“圧倒的に一番多い姓”ですから、王妃の姓に多いのも納得できます。その次に…
  • 王子を産んだ張禧嬪(チャン・ヒビン)はその後どうなった?

    1688年10月27日、一介の女官から粛宗(スクチョン)の側室になっていた張禧嬪(チャン・ヒビン)が王子を出産した。それが、後の20代王・景宗(キョンジョン)である。粛宗にとっては、27歳になって初めての息子だった。彼の…
  • 朝鮮王朝で女傑王妃と呼ばれた5人は誰か?

    朝鮮王朝では国王が絶対的な権力者であったが、実は国王以上に目立っていた王妃が何人もいた。それは、元敬(ウォンギョン)王后、貞熹(チョンヒ)王后、仁粋(インス)大妃、明聖(ミョンソン)王后、純元(スヌォン)王后の5人だった…
  • 光海君(クァンヘグン)の正室・柳氏(ユシ)の不運な人生!

    自分より8歳も若い女性が母となったら、どんなふうに接したらいいのだろうか。そんな難題が生じて、光海君(クァンヘグン)の正室の柳氏(ユシ)はほとほと困惑してしまった。きっかけは、14代王・宣祖(ソンジョ)の再婚だった。 …
  • 朝鮮王朝を不幸にさせた文定王后!

    本来であれば王妃にさえなれなかった女性が、最終的に大妃(テビ/国王の母)になって、朝鮮王朝を大混乱に陥れた。それが文定(ムンジョン)王后である。彼女はなぜ、絶対的に強い立場になれたのだろうか? クーデターのお…
  • 朝鮮王朝最高の聖女は『イ・サン』に登場した孝懿(ヒョイ)王后!

    朝鮮王朝の王妃の中で聖女として慕われたのが、正祖(チョンジョ)の正室であった孝懿(ヒョイ)王后である。しかし、彼女は毒殺される危機に瀕した。それは果たして、どんな事件だったのだろうか。 パク・ウネが演じた孝懿…
  • 朝鮮王朝の「悲劇の五大王妃」とは誰か

    518年間も続いた朝鮮王朝には42人の王妃がいた。その中で「悲劇の五大王妃」と呼ばれたのは、顕徳(ヒョンドク)王后、端敬(タンギョン)王后、仁穆(インモク)王后、仁顕(イニョン)王后、明成(ミョンソン)皇后の5人だ。 …
  • 廃位となった光海君の妻の運命は?

    14代王の宣祖(ソンジョ)は、正妻の懿仁(ウィイン)王后が1600年に亡くなると、2年後には50歳ながら18歳の仁穆(インモク)王后を次の王妃に迎えた。そのとき、宣祖の二男の光海君(クァンヘグン)に嫁いでいた柳氏(ユシ)…
  • 朝鮮王朝で最初に廃妃・死罪になった王妃は誰か

    9代王の成宗(ソンジョン)は政治的には名君でしたが、女性問題で王宮を騒がせたことが何度もありました。その最たることが、燕山君(ヨンサングン)の生母が廃妃(ペビ)になった事件でした。 呪術的な儀式 成宗にとって…

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