光海君はどんな国王だったのか2「兄弟の争い」

最悪の暴君?

1623年にクーデターが起こり、光海君は王宮から追放されてしまいます。
クーデターの首謀者は綾陽君(ヌンヤングン)。彼は16代王・仁祖(インジョ)として即位します。
仁祖は、宣祖の五男である定遠君(チョンウォングン)の息子で、弟が綾昌君(ヌンチャングン)でした。その綾昌君が、光海君の王位を脅かそうとした罪に問われて死罪になっており、弟を殺されたという個人的な恨みがありました。
臨海君や永昌大君にしても、骨肉の争いの末に殺されており、光海君と大北派に恨みを持っている人は多かったのです。そうした恨みをうまく吸い上げて仁祖はクーデターを成功させました。以後、王宮を追放された光海君は、仁祖の意図によって「最悪の暴君」に仕立てあげられました。




暴君といえば、10代王・燕山君(ヨンサングン)があまりに悪名が高いのですが、光海君も同様だというわけです。
(次回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

光海君はどんな国王だったのか1「宣祖の息子」

光海君はどんな国王だったのか3「外交戦術」

光海君はどんな国王だったのか4「クーデター」

光海君はどんな国王だったのか5「流罪」

光海君(クァンヘグン)が王になった特殊な理由!

光海君(クァンヘグン)は仁祖(インジョ)によって暴君にされてしまった!




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